妄想が過ぎれば・・・、自己も目的も失う「from hell it came」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

見方を変えれば、何事も被害者目線でいられれば、これはそれはそれで楽な暮らし

が出来るのだが、実際のところ「自称被害者は妄想」となってくれば、どこか主張する

もろもろも「信憑性」が疑われ、ましては生涯被害者だったはずが、どこかで加害に

加担し、まして国民生活を無視してだから、救い難い対象として三原則などと提唱

されてしまう。

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「日本、再び侵略を準備する」/チョン・ケワン著(327ページ、1万6千ウォン)

「韓国はただの愚かな国だ。」

日本の安倍晋三総理の2013年11月の発言だ。日本の代表的右翼雑誌‘週刊文春’

は‘韓国の急所を刺す’という特集記事を通じて安倍総理がこのように話したと伝えた。

これに韓国の報道機関と国民は怒った。そして‘日本指導者のおかしな発言’で片付

けた。安倍の発言に含まれた意味を把握しようとする努力はなかった。
日本紙幣最高額1万円の登場人物、福沢諭吉は19世紀末「愚かな朝鮮は日本に習う

べきで、従わなければ征伐せねばならない」と主張した。当時、日本では征韓論が再

び吹きあれ日本は朝鮮侵略の道を歩んだ。19世紀日本の政治思想家、吉田松陰は

征韓論と大東亜共栄論を創始した人物だ。彼は「朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリ

ピン一帯を捕獲する。西洋で失った国富を朝鮮と満州から得るべきだ」と主張した。

朝鮮侵略は現実になった。朝鮮侵略の元凶、伊藤博文、2代統監・曽祢荒助、韓日

併合文書に署名した初代総督、寺内正毅などみな吉田松陰の弟子だ。
安倍晋三総理は2013年8月、吉田松陰神社を参拝、自身が最も尊敬する人物は吉

田松陰だと明らかにした。その日、安倍総理は松蔭神社に跪いて「正しい判断」をす

ると誓った。彼が誓った正しい判断は「強い日本」「私を軍国主義者と呼んでも良い」

という宣言に続き「日本を戦争可能な国家」に改造することが明らかになっている。

安倍の歩みは吉田松陰の征韓論と一致する。
わずか20年前までは日本国民の中で‘独島’(日本名竹島)を知っている人は珍しか

った。しかし、日本政治指導者らの絶え間ない宣伝で現在、多数の日本人は‘日本

領土竹島を韓国が無断占有している’と信じている。日本の教科書も子供たちにそう

教えている。この様な宣伝や教育は日本人に韓国に対する敵対心を持たせることに

なる。
また、自国領土を韓国が無断占有しているとか尖閣を中国が力で奪おうとすると認

識させることにより、‘領土を守るためには武装を強化しなければならない’という考

えを持たせる。この本‘日本、再び侵略を準備する’では日本の独島紛争と尖閣列

島紛争は自国民の認識を変えようとする高度な政治作業だと分析する。
著者は日本政界が独島と尖閣紛争を利用することによって戦争に対する恐怖より

自国領土を奪われたことに対する怒りを育てている」として「日本極右勢力の絶え

間ない示威と日本政界の領土論争は韓国に対する日本人の認識をますます悪くさ

せている。この過程はあたかも19世紀中・後半の征韓論をめぐる急進派と穏健派が

争う過程で急進派が使った手法と似ている」と指摘する。
「街に出たネット右翼」の著者の安田浩一氏は著者とのインタビューで「私が心配す

るのは日本自民党が在特会のようになることだ」と憂慮している。一部の極右勢力の

反韓感情が日本人全体の国民感情に伝染するのが恐ろしいということだ。
韓日合邦以前の朝鮮はひどく分裂していた。開放を主張する勢力と鎖国を叫ぶ勢

力が相次いで政変を起こし国をずたずたに破った。親清派、親露派、親日派などが

目があえば戦った。今日の大韓民国はどうか?分裂はその時と全く同じだ。南北が

分断され東西が分かれ政治は進歩と保守に分かれて必死に戦う。世代葛藤、階層

葛藤は度を越え共同線は消えて久しい。21世紀日本の状況は16、19世紀と全く一

緒で韓国の状況と東アジアをめぐる国際情勢もまた‘再放送’のように似ている。

同書は「私たちはとても簡単に過去を批判しながらも、なかなか過去から教訓を得る
ことができず過去を踏襲している」と指摘する。
は「私たちの目標は日本を敵ではなく友人にすることでなければならない。

隣国を敵とみなす態度は‘国内用’だけで国益の役に立たない。日本を友人にできな

いなら、彼らが動けないように備えなければならない」と話す。
彼はまた「日本人だけが日本の態度を決めるわけではないことを記憶すべきだ。

私たちの態度と対応が日本の態度を決める強力な動機」と強調する。同書は日本の

侵略、反省しない彼らの習性、日本人の精神世界を支配する天皇、日本人の独特の

意識構造、戦争で作動する日本の経済、日本人の韓国観などを詳細に分析している。


韓国毎日新聞(韓国語) 虎視耽々日本気を引き締めて!韓国…『日本、再び侵略を

準備する』
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=23925&yy=2014








(韓国と語る)Kポップのブーム、予想できていた

若宮啓文=日本国際交流センター・シニアフェロー

2014年5月23日17時30分

■「釜山港へ帰れ」をヒットさせた歌手・趙容弼(チョー・ヨンピル)さん

韓国と語る

 ――日本での活動をやめて久しい趙容弼さんが、昨年11月に東京でコンサートを

開きましたね。15年ぶりでしたが、心境の変化があったのですか。
韓国で新しいアルバムがヒットしたので、日本からぜひにと要請があったのです。

日本での活動をやめると宣言したのにまたやるのはちょっと気まずかったから、国内

ツアーの一環と考えました。演目もみな同じにしたんです。
 ――私も行きました。待っていたファンが多くて大変に盛り上がりましたが、感想は。
久しぶりだから本当に緊張しましたが、観客の反応もよかったし、何より日本でまた

公演できてよかった。最初はまごつきましたが、期待もされていたし……。

 ――そもそも、どうして日本から引き揚げたのですか。

両国を行ったり来たりするのが精神的に疲れたし、だんだんトシも取ってきたので、

1カ所で打ち込もうと思ったんです。中略

――趙さんが日本でデビューしたころは軍事政権の時代で、日韓関係はぎこちない

時代でした。趙さんはいわば韓流の走りでしたが、いずれいまのようにKポップが日本

でブームを起こす日がくると思いましたか。

もちろんです。誰かが道をならしておけば、その後には入りやすくなりますからね。

レコード会社も韓国歌手を楽に け入れる。中国はもっと閉鎖的だから難しかったけれ

ど、同じことです。80年代、つまり30年前には日本でも中国でも韓国の大衆文化を

受け入れることがすごく難しかった。今のようにYouTubeなどもなかったし。今は
音楽交流の幅が広くなりました。いまは韓国のテレビでも日本の映画を見られる時代

です。お互いの音楽が行ったり来たりするのは大変なことではない。レコード会社が

「一度放送してみない?」と言えば、簡単にできるようになった。中略

――日本の音楽をどう思いますか。

日本の音楽には日本だけの独特なものがあります。韓国音楽とはちょっと違う。大ヒッ

トした曲を聞くと、日本だけの独特な音楽があります。日本の音楽はすごくデリケートで、

とてもいいです。韓国の音楽はちょっとタフだと言えるかな。
日本は曲線の文化で、韓国は直線の文化です。両国の文化や国民性、言語そのもの

が違います。経験した歴史の背景も違うので、表現の方式と情緒も違うのでしょう。

以下略

全文
http://www.asahi.com/articles/ASG5N3TRKG5NUEHF00K.html?iref=com_fbox_d2_01
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何とか関心を持ってもらうためなら、なんでもします。

なんて姿勢は微塵もなく、被害者面で金を祖びり、その反面文化輸出で外貨獲得を

「文句をつける国」に頼るとかの「矛盾」はね見て見ぬふりで、無条件で受け入れろが

反発されれば、何とかイメージ・アップに懸命になるが、それがまた上辺だけだから

見透かされて・・・。




こういった国設離脱した人に、お国柄を指摘されてしまうし、それが誰の目にも

理解出来る「このところの危機管理の、人命無視」に、すべてが凝縮して、信頼度

などは微塵に吹っ飛んでしまった・・・。

それではならじと、マスメディアが懸命に、反転攻勢に打って出ても、結果的に

基礎のなさはすぐさま露呈して、妄想に走った結果、自己も目的も見失った・・・。


どうしたいのかでなく、どうしていきたいか、それが主張しながら文化のブームを形成

して行く、その生き方に共鳴出来るからファンが増大するという構図が展開で出来なけ

れば砂上の楼閣・・・。

このブームの背景にある真摯な制作努力のにじみでがなければ、自称のブームなど

と批判されようと歯牙に賭けずに邁進出来るはずだが、そこは商売商売だからこそ、

貶されるだけで一万年でも記録として「ぶざまなものとして記憶されていく」・・・。


映画の中には、こういった「当ててやろう」というスケベ根性がありありな者は、それこそ

興行という名の下に相当に集い、そして記憶媒体はそれらの「ぶざまな制作能力」を

末代まで伝えてくれる時代になった。

それだけに「三原則が活きる」関係として、事象のぶざまさを揶揄するものとして、映画

の出来で、代行出来るのは、なんとも時間の経過からすれば、温故知新もアリとなる。


なんて言いながら、当てはまりそうな映画をエントリーするのは、皮肉って分かるか?

てなんで・・・、今日も今日とて「荒唐無稽御馬鹿映画」のご紹介。







http://www.youtube.com/watch?v=H-QV9CL-p_Y

「フロムヘル・イット・ケイム」 五十七年未公開作


邦題とすれば、「それは地獄からやって来た」ってな直球になりそうだが、これが

また「題名に嘘アリ」な作品として、つとに名が知られたもの。

何しろドラクエの「切り株おばけ」みたいな造形はコメディーみたいだし、それが

恐怖の対象として登場するのは、観客を馬鹿にしているのかと呆れ返るもの。

いくらドライビング・シアター向けとはいえ、これではスクリーンに向かって物が

投げられたかもと想像してしまう。

怪物として登場する怨念がこもった木の精が、以下のようなものだが、これが

昔の人は恐怖を生み出すとかは、いくらなんでも、何しろ「うろつき廻る」だけで

都合よく人間が近くにいて、恐怖の余り気絶するから、のっそりと抱きかかえて

そこらに放り投げられるか、殴り殺される展開は、悶絶ものの間抜けなもの。





にしてもこの造形どこかって、「海獣を呼ぶ女」の怪物にも似てて、調べたら

やはりそこの制作もの。

あちらもうろつくだけだけだったが、こちらはそこに都合よく気絶やら恐怖のあまり

固まったままだから、被害も出る。

ましてこの怪物は木のクセに、火に強いって、いくらハイチのゾンビ伝説をモチーフに

した生物研究の人達の話としても、そりゃないでしょう。

まして原住民によって殺された人の怨念がこもった精霊の成り代わりが、即座に成長

して、研究所から逃げ出す時は誰も気付かずって、スローモな歩き方しかできないのに

とってもゆるく展開していくから、緊迫感はセリフがどうでも感じ取れない。

何より拳銃で蜂の巣にして、この怪物を流砂の沼に沈めて、そしてゆるく救われた女は

男と抱き合ってブチュっで、パッピーエンド・・・、生命の復活の生物の研究は?・・・。

スタートのこけおどしのあの字幕は・・・。何でもいいか、未知の生物登場して、それが

滅んで人間は助かった、メデタシ・メデタシ 真剣に見るんじゃなかったという感想・・・。



世界の怪物・神獣事典 (シリーズ・ファンタジー百科)/原書房
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                          といったところで、またのお越しを・・・。