人命軽視で逃げ出す人と、命を賭けて救出する人「スペシャル・フォース」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

日本の一部おかしな思考法の人と、メディアの中だけで「戦争云々」とかでの政権批判

があるが、それとは別に「グローバル化」という呪文との相関に対して、グローバル社会

での邦人保護の行方に、「軍事力」の背景を無視していては、世界における「国民を守

る」ことは無視される、あるいは「自己責任」でやりくりしろとするのが、こういった「批判」

をあげる人々の考え方なのだろう。

何も侵略するべき「価値のない」国が心配しなくとも、そんな魅力のない、まして「国民

精神疾患 火病」持ちに、頼まれても軍事力云々などでなく「国交断絶」してしまえば、

そんな心配事も起こらない・・・。

と、盛んなグローバル云々と、その背景にある軍事力の「脅威」を無視していては、どこ

までも天然ボケのそれと、相手からは見なされてしまう・・・。


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安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認へ意欲を示したことについて、16日付の韓

国各紙は、日本が「戦争できる国になる」と一斉に警戒感を示した。
朝鮮半島への影響や、北東アジアの軍備競争への懸念を伝えている。
朝鮮日報は「第2次大戦を起こした責任と反省から70年間維持してきた『戦争できな

い国』から脱皮するものだ」と指摘。
「日本の本格的な軍事力拡大につながり、北東アジアの軍備競争を触発しかねない」

と報じた。
東亜日報は1面トップで「安倍首相『戦争できる日本』宣言」との見出しで報道した。

2014/05/16 11:33 【共同通信】
http://www.47news.jp/news/2014/05/post_20140516113603.html






安倍晋三首相が記者会見した15日夕、反発する市民らが東京・永田町の首相官邸周

辺で大規模な抗議集会を開いた。
「集団的自衛権反対」「解釈で憲法9条を壊すな」などと書かれた横断幕やプラカードを

手に約2000人(主催者発表)が大声を上げた。
安倍首相は官邸での記者会見で、「国民の命と暮らしを守る責任がある」と繰り返し、行

使容認の必要性を訴えた。
両脇に置かれた検討事例を紹介するパネルを何度も指し示し、「平和な暮らしが突然の

危機に直面するかもしれない」「抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなる」と強調。
「(容認)検討は国民との約束を実行に移すものだ」と説明した。
これに対し、集会参加者は反発の声を高めた。
満州で戦争を経験したという無職桐谷明雄さん(79)=東京都練馬区=は「人が簡単に

殺されるのを何度も見てきた。戦争は日常生活が破壊される」と指摘。
「そんなことを子供や孫に経験させられない。首相は個人的な考えで勝手なことをする

な」と訴えた。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014051500995

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満州で戦争を経験したという無職桐谷明雄さん(79)=東京都練馬区=は「人が簡単に

殺されるのを何度も見てきた。戦争は日常生活が破壊される」と指摘。


見てきたように話す「語り部」と同じ利権臭が漂うコメントに、以下のような「人の記憶の

曖昧さ」を推し量ると、今生きている現状での「思想」が、都合よくコメントとなって現れ

るのは、仕方ないかも・・・。


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人は物語を作る。われわれは世界を受動的に認識するのではない。われわれは世界に

ついての物語を語り、ランダムに起こるイベントを整理して、ひとつの筋の通った物語に

する。

この習慣は役に立つことも多い。しかし、深刻な副作用もある。筋が通っていない事実

については、それを歪めたり無視したりする傾向があるからだ。エピソードのほうを重視

するあまり、真実が遠ざけられ、何度も語っているうちに純粋な創作になることもある。
われわれは自分の物語を調整して、よりよい物語に変える。われわれは事実を曲げて、

もっと集団にアピールするようにする。われわれは社会的動物であるから、過去の記憶

も、社会的圧力に即する形で絶え間なく修正されているのだ。


なぜこの現象が起こるかについて、研究者たちは次のように述べている。

偽りのプロパガンダなどがもたらす社会的影響は、政治キャンペーンや商業広告にお

ける個人の記憶に有害な影響を及ぼしたり、目撃者の証言を変化させて裁判の妨げに

なったりするおそれがある。しかし一方で、記憶の同調は、適応的役割を果たす可能性

も考えられる。社会的学習は、個人的学習よりも効率的で正確であることが多いためだ。

このような理由から、人間は、本来の個人的意見と食い違っているときでさえ、集団の

判断を信頼する傾向をもっているのかもしれない。


この研究は、社会的に共有された物語が、個人の記憶をまったく信頼できないものにし

うることも説明している。例えば、2001年9月11日の「鮮明な」記憶に関して調査が行われ

ている。悲劇的なテロ事件があってから数日後に、ウイリアム・ハーストらによって率い

られた心理学者たちが、人々の体験についてインタヴューを行い、その後も個々の記憶

について追跡調査を行ったのだ。その結果、1年後には、事件の詳細の37%が、最初の

叙述から変化していた。2004年には、その数字が50%近くに達した。研究者たちは現在、

10年目の調査結果をまとめているが、おそらく記憶のほとんどがフィクションに近いもの

になっているだろう。
われわれの物語は、よりよいものになる。よりエンターテインメント的で、ドラマチックで、

恐ろしさをより強調したものになったりする。しかし、その「改良」は事実を犠牲にすること

で行われている。物語は意味を生じさせるが、人生はふつう、そうではないからだ。


http://karapaia.livedoor.biz/archives/52046533.html

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こういった「記憶の曖昧さ」に加味した「妄想」が絡まると、以下のような「今にもどこかで

戦争が起こる」ということに囚われて、人を煽動しようとするが「侵入者」でもあったが、ど

こか煽り立てに奮闘する人によって「洗脳された錯誤者」も・・・。





こういいったデモも、誰かが煽動して集団になるが、一端そこを離れれば「極一般的な

思考法」を持つ国民になり・・・。

だが自分の主張が「思うように受ければ、勘違いする人は舞い上がる」を地で行くのが

マンガ原作のそれと見なせる。

いつしか受け入れと自分の錯誤が混沌となり、自己診断も出来ないから「侵入者」と同じ

伝を踏む。


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美味しんぼ 福島で「鼻血」表現 行政抗議を危ぶむ声

小学館の週刊誌で連載中の漫画「美味(おい)しんぼ」で福島第1原発事故(福島県)

の被災地で主人公らが鼻血を出す表現をめぐり、県知事や閣僚、行政側から批判が

相次ぐ。
一漫画作品への異例ともいえる「抗議」の過熱ぶりに、福島県出身者からも「『安全』

の押しつけ」と反発の声が上がる。専門家らも「表現の抑圧につながる」と危ぶむ。

(福岡範行、小室亜希子)
作品をめぐっては福島県はホームページで「風評被害を助長する」とコメント。
客観的な表現にするよう小学館に強く申し入れているとした。
13日には根本匠復興相ら閣僚、環境省からも作品に対する批判が続出した。
震災後、福島県田村市から避難している金沢市の浅田正文さん(72)は
「福島では鼻血がよく出るという話を何度も聞いた。『風評被害』を強調する福島県こそ

が、その事実に目を背けている」と批判。閣僚までもがこぞって漫画を批判しているこ

とに「まるで圧力をかけているかのよう」と懸念する。
浅田さんは「行政機関として、より住民の安全を重視した立場で考えないといけない」と、
今回の県側の対応を危ぶみ、近く佐藤雄平知事あてに抗議のファクスを送るという。
石川県白山市在住の須藤春夫・法政大名誉教授(メディア論)は「行政の側が表現のあ

り方に意見するのは、好ましくない。作者の雁屋(かりや)哲さん以外の人も、いちいち行

政からの評価が入ってくるのではないかと感じて、表現を萎縮させてしまう恐れがある」と、

県や閣僚の対応を問題視する。
「健康被害が問題提起されたら行政は、応えるべきなのに、逆に風評被害と騒いでいる」と
指摘するのは表現の自由に詳しい田島泰彦上智大教授(メディア法)。
「権力者が表現の中身や手法について『これはいかん』と言っており、強力な萎縮効果を

もたらす。ただちに(憲法違反の)検閲ではないとしても、率直なことを描くと権力から抑圧

されるというメッセージを送っており、悪質だ」と話した。

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20140514162240022

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これまでも「事実出ない事柄」を、マンガだからとばかりに垂れ流して顰蹙を買っていた

者は、単に噂や伝聞の聞きかじりで安易に警鐘を似非な人道を振りかざすが、それを

全面的に批判されれば、とっとと逃げ回る見っとも無さを露呈してしまって、気の毒なのが

作画する人ってなことになって、ご愁傷様となる。


大概に「平和云々やら、自由、安全、安心」などを殊更こえだかに叫びながら、いざとなっ

たら「トッと逃げる見っとも無さ」を露呈するのは「弱い犬ほど、良く吠える」の例えどおりで

うすら笑える。


で、いざとなったとき、そんな似非や卑怯者と違って、寡黙に命令に殉ずる人々がいて、

それらは普段、平和を叫ぶ人たちには毛嫌いされている。

ただそれらの人々も、それこそ人間としての不安や悩みに苛まれている生き物である。

そんな逃げる人と、果敢に窮地からの生還する人の違いは、尊敬という念からすれば、

逃げたし船長と保身役人との見っとも無さで軽蔑されておかしくない。

それとは違って命令によって奪還を目指す人々は、尊敬を受けて当たり前。

そんなものの無名な英雄を描いたのが「スペシャル・フォース」という映画である。







http://www.youtube.com/watch?v=Szr482G3XCc
「スペシャル・フォース」 十一年未公開作


このフランスの映画が未公開だったのにも驚きだが、フランスの特殊部隊
の活躍というものも、とっても新鮮であるのだが、やはり奪還作戦というものの設定は新

鮮味に欠けるとなって、折角のアクションも見る分には申し分ないが、スリルやまして緊

迫した場面設定に少しばかり無理があって、そこらが未公開の魅力のなさではないかと

何より救うのがジャーナストの女性設定と、対するアフガンのリーダーとの確執が、今一

ピンと来ないもので、おいおいな救出する価値となれば、なんだかなぁ・・・。




それでも戦闘場面や奪還に対する犠牲の様は、アクションとしてみても見ごたえはあった。

もっとも流石にそれだけではあったが・・・。

救出される女性も、最初と最後での態度の変化は、援ける意義と犠牲になる意義を、さら

りと理解するとか、それなりに犠牲の上に成り立つ何かを感じ取る・・・。

権利と義務ってなことから考えれば、自己責任と滅私奉公。

美徳とされるものの「普遍性」を鑑みれば、自己犠牲も厭わぬ寡黙な人々の存在に光りを

当てても罰当たりではない。

それこそ「人命を軽んじ、人権の旨みだけに汲々とする人々」を唾棄していいと思える作品

と相成りそうで・・・。


と、やっとのことで五月に下書きしたものをあげることが出来た。



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                           といったところで、またのお越しを・・・。