綻びが広がれば・・・「愛欲の道連れ」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

世の流れによっては、なんだかかなぁと怪訝な気持ちになるのだが、生きていく
のにも「理由」が必要と思う人も、また「職業的貴賎」を気にするとかの劣等感
とか、記事によってはより「なんだかなぁ」が増幅する。

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社会人のための転職サイト「リクナビNEXT」のCMがネット上の各所で突然登場
する頻度が高まっている。YouTubeの動画を見ても出てきて、ニュースのサイト
を見ても動画が流れて「子供に夢を託すな」の歌が出てくるのだ。
このCMはサラリーマンの「超画一的イメージ」を映像で描き、子供に歌わせるC
Mだ。つまり、ネズミ色のスーツを着た仏頂面の大人が黙々と歩いたり、タクシ
ーの後部座席でつまらなそうにしているサラリーマンの脇に(本来はいないであ
ろう)子供が楽しげにいて、以下のように歌うというもの。
「子供に夢を託すな 子供に夢を託すな 言い訳探して諦めたふり 大人も自分
を生きろ 子供に夢を託すな 子供に夢を託すな先は見えてるだなんて嘘、嘘 
大人も自分を生きろ 本当はあるだろ? やりたいことが 自分のことをまず
考えてゆけよ」
このCMに対し、38歳のサラリーマン男性は「要するに、オレらサラリーマンの
人生はつまらないと言いたいんですよね。元々持っていた夢(サラリーマン以外
の)を捨てて、しがないサラリーマンになって惨めな人生を送っている。
そして、人生を潔く諦めて本来歩みたかった夢に溢れた人生を子供に押し付けて
いる、そう言いたいんですね? 結局オレらを貶めたいんですか? 生きてる価
値がない、と言いたいんですか?で、リンクを踏んだら転職サイトに飛ばすっ
て……。結局サラリーマンを否定して、別の会社のサラリーマンになれば夢が叶
うとえも言いたいのでしょうか……」と絶句した。
CMを作った人々は別の意図があったはずだろうが、ツイッター検索で「夢を託す
な」と「CM」で検索すると、前述の男性と同じように違和感を覚えた人々のコメ
ントが続々と出てくる。
“子供に夢を託すなっていうCMがうっとうしい”
“YouTubeの広告でこればっか流れてきてめっちゃイライラする”“子どもに夢
を託すな~♪と歌わせるCMを考えついた大人の趣味の悪さに辟易する”
“しかしYoutubeで曲聞こうとするたびに、子どもに夢を託すなCMが入って一度
ブルーに落ち込む気持ちを何とかしてほしい”
好意的なものには以下のような意見があった。
“リクルートの「子供に夢を託すな」って歌ってるCM、けっこう好き”

http://yukan-news.ameba.jp/20140315-80/



リケジョ」「かっぽう着」の”物語”を増幅させたマスコミ報道の責任は?小保方
晴子と佐村河内守の相似

ノーベル賞級の「世紀の大発見」から一転。
「世紀の大発見」が白紙に戻ったことはまぎれもない事実だろう。
マスコミ報道の「頂上」から一転して「どん底」へ。
同じ構図のニュースを私たちはつい最近も見ている。
「現代のベートーベン」と持ち上げられた佐村河内守氏だ。
佐村河内守氏の場合、聴覚障害で聴力がまったく消えた境遇で障害を持っている子
どもたちに出会って励まされ、広島の被爆者、東日本大震災の被災者ら苦しみを背
負った人たちと魂の交流をして癒しの音楽を作曲する、という「物語」が様々な
記事や番組で拡散された。
聴覚を失った現代のベートーベン。世界的にも注目されるクラシック音楽の作曲家-。
その音楽性よりも、「ラの音の耳鳴り」「激しい頭痛」「数多くの錠剤を服用」
「作曲中に失禁」「這って歩く」などの彼の奇異な日常生活の詳細に焦点が当てら
れた。
映像に登場する時は、彼は光が目に激しい痛みを起こすとしてサングラスを着用し、
左手の包帯、杖などの小道具を必ず用意した。
本人が吹聴した「物語」をマスコミが疑いなく「増幅」させたことは疑いない。
「現在のベートーベン・佐村河内守」は、マスコミが加担した「物語」だったのだ。
小保方晴子さんの場合も共通するのは、マスコミが「物語」を過熱報道した点だ。
わずか1か月あまり前に「万能細胞」としてSTAP細胞が発表された時に、小保方
さんは「リケジョのエース」として大々的に報道された。
研究所にある彼女の私物が「ピンク」で統一されている映像や彼女が「おばあち
ゃんのかっぽう着姿」で実験する映像や写真がテレビや新聞などで流された。
どちらも「良い物語」だ。
苦しみを背負った天才作曲家が苦しむ人たちを癒すー。
これまでの不治の病を根本的に治療できる万能細胞を日本人の理系女子が発見
したー。
こうした「物語」にマスコミが自ら酔い、彼らの成果であるはずの”研究”や
”楽曲”といった核心部分への検証がおろそかな形で報道してしまった。
クラシック音楽も、科学的な論文も、一般の記者たちからすれば「よく分から
ない」というのが実態だ。
それがすごいのかどうか、など判断できない。あるいは、一般の視聴者や読者
も「中身」を詳しく聞いても「よく分からない」。ならば、「中身」よりも本
人の「属性」を詳しく報道してやろうと「分かりやすい」「物語」の報道に終
始したのが多くのマスコミだった。
「現代のベートーベン」が広島を訪れて被爆者と交流し、大津波で母親を失っ
た少女と交流する「美談」を演出して同行取材。
あるいは、STAP細胞発見の続報として「リケジョたちの理想の男性は?」とか
「かっぽう着が小保方人気で品切れ続出」などの企画を紙面に掲載したり、放
送したりした。どちらも、報道の本質的な部分をおろそかにし、「分かりやす
い物語」というサイドに流れてしまったことで、本質から目を背ける報道に徹
してしまった。
今回のSTAP細胞の論文発表にあたっては、独立行政法人である理化学研究所の
広報セクションが、小保方晴子さんの「かっぽう着姿」をテレビカメラに撮影
させるなどの「物語化」を誘導した責任もある。研究者のかっぽう着姿の実験
映像など、研究所が能動的に「撮らせる」という形で関与しない限り、テレビ
局が映像を撮影できるわけがない。
その意味では、マスコミ各社は佐村河内氏の自己演出に乗せられたのと同様、
理化学研究所の自己演出にも乗せられたのだ。
「物語」に乗せられて、「物語」の報道ばかり垂れ流し、検証報道を怠ってき
たマスコミも「連帯責任」ではないか。
佐村河内氏と小保方さんをめぐるマスコミ報道の問題、相通じる。ふだんの報
道が、安易な「物語」に終始してやいないか。
マスコミ各社は、これまでの報道をじっくり見直した上で「報道のあり方」を
考え直してほしい。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140315-00033569/
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テレビ・コマーシャルに対しての嘆きと、なんちゃって騒動記の記事を並べる
と、さて「夢を持つ」「夢の実現」「夢見る職業」云々の憤懣もまた欲のあり
かとして「へぇ・・・」となる。
やりたい事と一応短期間でも脚光を浴びた後の顰蹙に、一般のサラリーマンで
良かったとかの感想が漏れそうだが・・・。

で、欲のつっぱり合いの末、悲劇的結末が待っているってな小説や映画てのも
良き反面教師としての側面もありそう・・・。
そんなものに「愛欲の道連れ」も入りそうである。






「愛欲の道連れ」 七十三年公開作

当時のイギリスの社会風潮を切る取るかの映画なのだが、なんともな「祖母殺し」
の題材は当時では衝撃的な内容。
働きもしない青年の怠惰な生活ぶりに、恋人のそそのかしで祖母の財産目当ての殺
害方法が常軌を逸する「騒ぎたてで心臓発作を誘発させる」とかの鬼畜な方法。
だが「見込み違いの結末」は、二人の愛欲の成れの果てで争いは悲劇でエンド。
日本でも「因果応報」的な青春の蹉跌やら私が捨てた女とかの教訓的戒めものは
あったが、青年の怠惰な性格は世界共通で、今の方がより酷さを見せている社会
になったとも思える。
報道される「親殺しや祖母・祖父殺し」がある程度の頻度で起こるのは、当時から
解決出来ない「世代間断絶」もありそうである。
で、この原題が「ジャック&ジル」と、イギリスではポビュラーな子供のものらし
いのに、そういえば南アフリカの以下のグループを思い出した。




「マスター・ジャック」 フォージャック&ジル
南アフリカとは珍しいグループだなぁと、記憶に残っていたがさすがイギリス移民
の国、後にアパルトヘイトからマンデラへと続くのに、歴史を感じる・・・。


詐欺とペテンの大百科/カール シファキス

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              といったところで、またのお越しを・・・。