アクション映画やホラー映画の装飾たっぷりぶりも、それはそれで「観客に
対するサービスと捉えれば、満かん全席もアリとはなるが、それでもそんな
ものばかり見続けると「飽きた」となるのは、当然なのかもしれない。
そんな時、不条理やら不運やら残酷やらを「無駄を極力殺いで描く」という
手法は、見るものにとっては衝撃的である。
そんな中に、以下のような作品も含まれてくるのだろう。

「ラルジャン」 八十三年公開作
トルストイ原作を映画化したという割りには、監督の描こうとする世界だから
後半などモロ違った作品のようであった。
衛星放送での鑑賞だが、この極力会話を省き、暴力場面も「音」によって描く
手法は見えないけれど「観客に想像力を発揮させ」場面が脳で描かれてしまう
という「アホ面鑑賞を許さない」手厳しい映画であった。
事の発端は高校生の片割れが作った「偽札」が思わぬ悲劇を生む不条理を描い
ているのだが、そこに情緒とか叙情とかをばっさり削ってクラッシック音楽と
「挿入する音」によって、淡々と進む映画進行を観客にのめり込ませる摩訶不
思議な無駄排除がなされている。
また演じる人々も喜怒哀楽を消し去って、感情的な事象を一こま一こまの映り
こむ映像と音よって際立った効果を生んでいるのには、退屈な映画とも取れる
派手さもないが、主人公の悲劇の連続からの「人間失格」へと辿る道すがらは
哀しいほどに上手く表現されている。
物語自体は救いのない自堕落へと落ち込んでいく過程と、それが些細なことか
らの残酷さと、主人公以外も際立って「物悲しい人生」というテイストに貫か
れて、それが殺害やらよりも衝撃的な映画となっている・・・。
と、これを見ていて、なんだか最近こんな映画を見たなぁと、見終わってから
思い出したのが、日本映画の「桜 ふたたびの加奈子」だった。

「桜 ふたたびの加奈子」十三年公開作
こちらはホラー作の「ふたたびの加奈子」を原作としたものだが、上のとは
違って「輪廻転生」というファンタジィー要素も含む物語である。
交通事故でわが子を失う母の「死を受け入れられない心情」と「周囲の思いやり」
それらがこれまた淡々と進むのだが、ここでも装飾過多な演技もなく、また静かな
展開なのに引き込まれる「音の入れ方」と音楽の入れ方と、会話よりは背景やら
音の紡ぎ方によって引き込まれていくという、何しろ音楽が摩訶不思議な程、映像
に息吹を吹き込んでいて、その時々の人々の心情を観客にそっと教えているかのよ
うで、自殺場面もリアル描写でなく、音による観客の想像に任せる手法と鼓動の
使い方とか、日本映画じゃないみたいと思えてきてしまった。
ただ、淡々と進む映画というものは、好き嫌いが音楽にも同じ傾向が見られてしま
うが、この映画のラストの「電話会話」だけがファンタジィー的だが、そこがまた
そうあったら「娘を産んでよかった」と、女性の観客はウルウル来るだろう場面を
最後に持ってくるのは、上の作品の救いのなさと対照的な再生の循環を、優しい
手法で描いている映画と言えるかも・・・。
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といったところで、またのお越しを・・・。