まともでない日本のメディア、史観が同質の映画「紀元前3万年の女」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

ネットでは日本のマス・メディアに対して「マスゴミ」と揶揄して、その偏向報道の酷さを

糾弾する論調が目立ち、これまでの「洗脳に近いマスゴミの論調」に懐疑的な動きに

賛同が増えてきて、より「マスゴミ」の言葉も、それに「アサヒる」「変態新聞」「ウジテレ

ビ」と、偏向・捏造報道に監視の目が向けられて、それらが次々暴かれて「信頼失墜」

が加速しているが、そこに加わる「地方紙の共同体」として共同通信という報道機関が

「なんちゃって理論」で、それらへの反証を試みているが、これがまた「夏休みの作文」

以下の「内容のない」ものだから、「言い訳するより、身を正せ」と政治家同等の罵声を

浴びせてやらないと・・・。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このコラムを書き始めたのは、去年の3月11日がきっかけだった。それから1年以上が

たった。
繰り返しておきたいのは、このコラムは共同通信と加盟社で構成するサイトの中にあり、

その趣旨から著しく逸脱できないということだ。だが実際には、マスメディアも多くの事象

について「社論」があるわけではない。例えば原発についても、極端な推進・廃止論以外

なら、ある程度の主張は許容される。
記者OBでマスメディアの端っこにいる私が、このコラムで書いているのもそういったこ

とだ。やや異見かもしれないが…。


流浪の民の囁き


こんなふうに書くのは、このところ、コラムの内容についてtwitterで書かれていることが

少々気になるからだ。短い字数なので、意図の詳しいところは分からない。しかし、印象

だけで言わせてもらえば、多くの議論が、課題を既存の枠に当てはめ、自分の得意な流

儀で解釈しているように感じる。
「マスメディアの姿勢に対する反省がない」という批判があった。現在のマスメディアがさ

まざまな問題を抱えていることはたしかだし、いま指摘されていることの大半は当たって

いると思う。原発に関していえば、私もかつて、事故などを取材する記者クラブにいた。

そうしたこともこのコラムに書いたし、反省はしているつもりだ。ただ、3・11以後、ある新

聞記者が「いままで反原発運動に関心を持ってこなかった不明を恥じる」と書いたような

反省とは、ちょっと違う。関心を持ってきた。ただ、それを十分に発信できなかったことを

反省している。
でも、それは記者だった私以上に、個々のマスメディアの問題だ。原発に限らず、私は

それなりの主張をしてきた。実現できなかったのは、私の力不足もあるが、本質的に組

織や業界の問題だ。そのことで「個人として反省が足りない」と感じるとすれば、それは

マスメディアを総体として「枠」でとらえているからだ。
マスメディアにもさまざまな記者がいる。同業者でも眉をひそめるような人もいれば、

良心的な人も。
そのほとんどが、組織の中での個人の在り方を考えている。組織に順応している記者も

いれば、抵抗している記者もいる。
また、原発はたしかに重要なテーマだが、ジャーナリストの全部がそのことを日常的に

フォローしたり関心を持っていたりするわけではない。それぞれが、自分が担当する分

野で目の前の仕事に向かっている。
それを「マスゴミ」と呼んで全否定するのは自由だが、そうした認識からは何も生まれな

いと私は考える(現役のとき、ブログで同じようなことを書いたら「傲慢だ」と集中攻撃され

た)。できれば、そうしたマスメディア内部での組織と個人の問題についても考えてほしい

と思う。結局、言い訳のようになってしまった…。


http://www.47news.jp/47topics/himekuri/2012/03/post_20120327092146.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「身を正す」ことにより、「マスゴミ」とかの「ゴミ扱い」されずに、それなりに読んで貰える

かも知れないが、なんちゃって論を振りかざして、結果的に「主張がない」では、書かな

い方が「叩かれまいに」と、その程度の低さに哀れみを感じる。

といって、「売文屋」なぞに同情はせぬが、これまでの「言論の自由」とかを自分達の専売

特許と勘違いしている「痛い人の集団」だから、以下の画像のような「おっさん」がイメージ

去れてしまう。


流浪の民の囁き


他人に説教するくせに、その説教する頭に「盗んだ女物のパンティ」を被って説教

しても「説得力ない」だけでなく、「この変態野郎が」と逆に罵倒されるだろう。

この画像の立場にいるのが、日本のマスコミの姿だから「マスゴミ」とやはり呼ばれて

も仕方ない。


で、歴史の改ざんとか捏造にご注進となかなかにご活躍のマスコミの舌は二枚舌

だから、反発が出てくれば「何とか論理転換」を図って自分達の立ち位置をずらす

して、擁護していたものも貶し始めるという「面の皮の厚さ」は今も昔も変わらぬゴミ

体質だから、日本の教科書がまともになりそうだと「喚きチラシ」にご注進に及び、

またぞろ「友好云々」とかぬかして、自国よりは他国の意見を拝聴してしまうと・・・。

それだけに以下のような映画も、通常の意識のある人なら「ファンタジィー要素」のみ

の「歴史改ざん」と笑い飛ばすが、もしかしたらマスゴミは違って「何でも起源」を言

い募る「お馬鹿」に合わせて、紀元前から言葉はあったとか抜かしかねないでは・・・。

と、笑えない歴史的エンターテイメントの原始時代ものに「紀元前三万年の女」も

含まれる。


流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=ZbOZLV783HI

「紀元前三万年の女」 六十七年未公開作


あのハマーのお色気原始ものの一本だが、これ以前書いたか忘れてしまったので、

共同通信の「なんちゃら言い訳」の同質とみて再度取上げた。

白サイを神とあがめる黒髪族とその奴隷として仕える金髪族の女達、そこにハンター

が絡み、諍いの種を撒き散らし、女対女の壮絶なお色気ケンカが始まる。

と、もう歴史も何も無視して「売れなけりゃ映画じゃない」とばかり、コミニケーションは

英語で出来て、でも設定は原始時代で、必要最低限の皮を身にまといお色気を振り

まくし「キャツト・ファイト」も繰り広げると、脚本などあってない代物で画面に踊るお色

気軍団の肢体をこれ見よがしにスクリーンに描写して、当時の映画ファンの男性動員

を目論むえげつなさを映像に見せる。

もっとも物語なんてどうでも良く、見ている客にすれば派手なけんかとその肢体見たさ

だから見終われば忘れる類いのものとなる。

何かないと思い出さない映画の一本である。

これを思い出したのも「同じ原題」のものを見て、あれこの題名の映画どこかで見たぞ

となったまで・・・。



流浪の民の囁き


http://www.youtube.com/watch?v=X7bFhLCVSwg&feature=relmfu

「Prehistoric Women」 五十年未公開作


こちらは上のやつと題名は同じであるが、内容的にはこちらの方が少しは教育的側面も

含んだ作品となっている。

もっとも「女が強い」はそれこそ昔からを物語るように、えらく女尊男卑な描き方では

あるが・・・。

男はドメステック・バイオレンスで、それに耐えられず、いや頭にきて逆に殺してしまう

そして女だけの集落を作り、種の保存のためだけに「男を狩って来る」と、そして付け加

えたように「怪巨人」も登場してと、女達の戦いは続く。

まぁ「女もつよいよ」のあちら古代版とも取れる内容だが、それまで「生のまま食べていた

もの」を火を持ってと、後はたいまつに点して明かりとしとか、火の活用を学ぶという進化

を描いて、上よりはまともな・・・。

な、訳もなくこちらも必要最低限な皮で身を包む肢体を見せびらかしは、この種の映画

の根強い人気は、やはり男の「スケベ心」にあるを物語り、確実な興行収入が見込めると

映画の根底にある「映画の成り立ち」を大衆迎合と取れなくもない。

まぁ、説教臭く持論をとうとうと述べるマスコミよりは、いささか社会を知っていると、強引に

批判に結びつければ、共同通信の「ううたら文章」と釣り合いが取れるというものである。


紀元前3万年の女 [DVD]/マルティーヌ・ベズウィック
¥5,040
Amazon.co.jp
                            といったところで、またのお越しを・・・。