検証のあやふやさと裏の思惑ばかりがクローズアップして、そこに頓珍漢な者も
でしゃばれば、これが嘲笑のそれとなって、日本のジャーナリストの劣化の凄ま
じさも知りえて、好奇心を失った日本人は「ただの人」に成り下がって・・・。
記事に挿入した画像は「南京」の虐殺の絵と旧日本軍の入城風景と日本では「文
化大革命」とインチキ臭さ満点で呼ばれる当時のリーダーの名を取って「マォの
大虐殺」の陰惨な画像である。
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名古屋の河村たかし市長の「南京事件というのはなかったんじゃないか」という
発言を受けて、筆者は「国際社会では笑いものになるかもしれない『南京発言』
」(夕刊ガジェット通信、2012年2月23日付)という記事を書いた。すると、
数日後にわざわざ筆者にツイートしてくれた方がおり、そこには「ガジェット
通信は反日だったのか、今まで気が付かなかったw」と書かれていた。
ご存じの読者も多いと思うが、筆者が記事を執筆しているのは「夕刊ガジェット
通信」であり、その記事が「ガジェット通信」やいくつかのニュースサイトに
転載される。その方は、筆者が「ガジェット通信」に執筆していると勘違いし、
かつ記事の内容を「反日」的だと勘違いして「ガジェット通信は反日だったの
か」などとツイートしている。

前者の勘違いは仕方ないとしても、後者の勘違いは「ガジェット通信」の名誉
に関わるので放置しておくわけにはいかない。以下、「ガジェット通信は反日」
なのかどうかを検証してみよう。
第一に、繰り返しになってしまうが、筆者は「夕刊ガジェット通信」のライタ
ーであり、「ガジェット通信」のライターではない。そして、「夕刊ガジェッ
ト通信」の配信する記事は、「ガジェット通信」をはじめとするいくつかの提
携ニュースサイトにほぼ自動的に掲載されることが多い。以上の仕組みがわか
っていれば、たとえ「反日」と揶揄するにしても、その対象は「夕刊ガジェッ
ト通信」でなければおかしいのである。
第二に、記事の内容が「反日」なのかどうかという点について検証してみる。
筆者は同記事で、大都市の市長なのだから、偏っていない歴史の知識を元に外
国人と接するべきだと述べた。第2次世界大戦中の日本軍がいかに中国でデタ
ラメなことをやったのかは、いまさら多くを語る必要のない事実である(その
一端は、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」を観ただけで
もよくわかる)。

その事実をしっかり認識した上で外国人と接することは、けっして「反日」的
なものではなく、かえって「親日」的なものだと筆者は考えている。なぜ「親
日」なのか。同記事の一部を抜粋する。
「自国の歴史に対して自虐的になりすぎる必要はない。過去の過ちに関する責
任は、その過ちをおかした人びとにあるのだから。しかし、歴史上で起きた事
実は事実として認識しておく必要と責任がある。私たちは歴史を背負って生き
ているのだから。また、その事実に他国がからむ場合は、他国が自国をどう見
ているのかを知っておく必要もある。そういった作業を怠けていると、国際社
会では「そんなことも知らないのか」と笑いものになってしまう」
「まだそんなことを言っているのか」とか「そんなことも知らないのか」と日
本人が外国人の笑いものにならないよう、バランスのとれた歴史感覚を身につ
けたほうがいい。そのことを指摘するとどうして「反日」になってしまうのか、
筆者にはよくわからない。ちなみに、河村市長の発言を受けて、筆者の知る範
囲では二人の識者が反応している。一人目は社会学者の宮台真司さん。
「荒川強啓 デイ・キャッチ!」(TBSラジオ)では月~金で、その日のニュー
スをランク付けする「ニュースランキング」をやっている。3月2日の第6位が
「河村市長の南京発言を受け、日中交流イベントが延期に」。その日のコメン
テーターが宮台さんで、このニュースについて以下のように発言している。
「南京の人殺しの数が30万人なのかいくらなのかってところは諸説があり、ぼ
くも30万人ってことはないと思っています。虐殺がなかったということもさ
ことながら、当時日本が中国である種のデタラメなことをやっていたのか、倫
理的なデタラメというか、戦争の初歩を知らないデタラメをやっていたんです
よ。日本がシベリア利権でロシアと争ったりする。当時のソビエトですけど。
そのときに、中国を叩いておかないと、はさみうちになってとんでもないこと
になるのではないかと恐れたりするのだけれど。普仏戦争とか普墺戦争の歴史
とか知っていれば、どちらが勝つかわからない戦争において、中国がどちらか
の味方をするということは普通ありえないんですよね。

そういう専守の知識もないままに、デタラメな理由で、南京やほかの都市に入
て、国民党軍を叩こうとするわけです。日本はとても強かったから、国民党軍
の人たちは服を脱いで、脱いだ服がいろんなとこに散らばっていた。なかには、
逃げた人もいれば、ゲリラ活動をするいわゆる便衣兵と呼ばれる人もいたでし
ょう。その比率はよくわかりませんが。そういうこともあって、無差別に人を
殺したという事実はあるわけですよ。
数の悲惨さということとは別に、戦争としてデタラメなことをやっていた日本
軍デタラメによって多くの被害をあたえたということについては、意識すべき
でしょう。つまり、ぼくは、恥だと思うね。当時の帝国陸軍のデタラメはね。
それは、原発問題に関するデタラメと全く同じで、基本的に当事者能力のない
人たちが、なんとかに刃物ではないけれど、原発を運営していた。当時の日本
軍も、よく似てるんですよ。そうした問題を恥だと思わないで、数が多いだの
少ないだの言っている河村さんって、いったい何なんだよこれ」
つづいて、作家の渡辺淳一さん。渡辺さんは週刊新潮に「あとの祭り」という
コラムを連載しているが、3月15日号のコラムタイトルは「南京虐殺に思う」
であった。以下、内容を抜粋する。まず、叔父さんから聞いた話を元に、日本
軍が入城した南京市内の様子を語る。
それにしても、当時の南京市内の様子を想像すると、身の毛もよだつ。
その時、勝ち誇った日本軍は南京市内に入城した。

こう書くと、『粛々と隊伍を組んで』、と思いたいところだが、その実、将校
も兵隊も食うや食わずで、ようやく南京に到着して、一気に解放されたのだろう。
そこで彼等がやらかしたことは、略奪と暴行。
日本軍は、そんなに統率がとれていない野蛮な軍隊だったのか、と悲しくなる
が、かつて、中国を転戦していた親戚の叔父さんにきいた話では、街に入ると、
それに近いことはやっていた、とのこと」
そして、被害者が30万人だという南京市の主張が「正しいか否か、わたしには
わからない」とした上で、以下のように述べる。
「被害者側の南京市が、30万人という数字を出しているのに対して、加害者側
の日本人が、そこまではいっていない、というのはナンセンスな話。
その数字が正しいか否かより、まず、そういうことは断じてするべきではない。
してはいけないことと、肝に銘じるべきである」
2人の発言から、論点が見えてきたと思う。つまり、第2次大戦中の日本軍は、
当事者能力のない幹部らの指揮により、アジアの各戦地では日本軍の兵士に
も現地の人びとにも大きな混乱が生じ、その混乱によって双方に多くの犠牲者
が出た。少なくともその歴史的な事実はしっかり認識しておくべきであり、また
同じ事を「断じてするべきではない。してはいけないことと肝に銘じるべき」と
いう感覚は、日本人が持っておいて損にはならないものだと筆者は思う。
とくに外国人と交流する場面においては。
その感覚は、「この日本人の歴史認識はまともな感覚だ」とか「歴史の間違い
から学んでいる」と外国人に認められたり賞賛されることはあっても、けっして
非難されることなどない。つまり、そういう感覚を持つべく促すことは、外国人
に対して日本人がまともな歴史認識を持っていると気付いてもらう、すなわち
「親日」的な行為なのではないかと筆者は考えているのだが。
河村市長の発言で言えば、南京事件が「なかったんじゃないか」という部分がお
かしいのであって、「被害の大小について議論はあるものの、南京事件はあった」
と言っておけば特に問題発言だと言われずに済んだのである。河村市長はその後、
「南京での戦闘行為によって悲しいことがあったということは、私も認めているん
です」(週刊新潮、3月15日号)と述べている
が、ならば初めからそう発言しておけばよかったのだ。
付言しておくが、同記事で「少なくとも万人単位の虐殺はあったのではないか」
と筆者が書いたところ、論拠を示せという声が多く聞かれた。おそらく、「ガジ
ェット通信=反日」という勘違いの原因もこの一行にあるような気がする。
「南京虐殺論争」に関しては、帝政ローマ時代の思想家・ググレカス様にお聞き
すれば、筆者がどのようなスタンスなのかは一発でわかる
と思う。だが、お聞きするのがめんどうな方のために、最低限の情報のみ記して
おく。

筆者は、南京虐殺の肯定派と否定派、そして中間派の文献を数多く読みこんだ結
果、『南京事件』(中公新書)の著者であり、中間派と呼ばれる歴史家の秦郁彦
さんによる見解を支持するにいたった。たまたま、週刊新潮3月15日号に、南京
虐殺に関する秦さんのコメントが掲載されているので紹介しておく。
「私自身は、様々な記録を検証した結果、4万人ほどの犠牲者はいたと推計して
います」。
「ガジェット通信は反日だったのか」とツイートしてくれた方には、以上の検証
で「ガジェット通信」は「反日」ではないことと、筆者が「親日」であることを
ご理解いただければ幸いである。
(谷川 茂)
ガジェット通信 2012/03/13
http://getnews.jp/archives/174484
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長ったらしい文章の割には、中身が薄い「反日ではなく親日」なんですとかの
弁明だが、ジャーナリストらしい検証は「他人の言の追随」という「引き篭もり
の戯言」並みの好奇心旺盛な記者魂はかけらもないという代物。
あの人がこういったからとか、だってテレビでこう言ってたもんって、そりゃ
日本のお得意の伝聞で、記事としての価値は皆無だが、発言者の「そんなことい
ったら相手が怒るよ」の偏った配慮に実在するか怪しい「叔父さん言」を加えたて
そのくせ、いよいよ詰まれば「再び他人の言に乗っかって」自己満足の結語として
いるのだから、これを読んだ人はいよいよこんな記者を信頼にたるとは取らない
だろう。
ましてこれが内戦続きの「自国民殺戮を得意とする政党」の擁護となれば、何をか
いわんやである。
第一その「自国民大虐殺」の実行役のリーダーは、その地位にある時「南京」の
追及をしていないのである。
それが「御注進」に上がる日本のマスコミ人によって、「謝罪と賠償」が出来る
と知りえて初めて・・・。
「謝罪と賠償」が大好き民族は「帰化しても骨の髄」まで「火病」まみれだから、
貶めるのが大好きときている。
それに社会経験のない「頭脳明晰」な者たちは言いように「丸め込まれる」
今で言う「マインド・コントロール」が、下の画像に表れている。

これが「頭脳明晰・社会未経験」の学生には「新鮮なものとして映る」
実際は自国民を「粛清」という名の「大虐殺」なのだが、そんな現場をみてい
ない者にとって「言葉遊び」は、「ごっこ」の対象として魅力的であった。
だから「革命という幻想」に振り回され、夢敗れれば、以下のような・・・。
この動画に、その当時の「ごっこ」が映し出されているが、それのアイデアが
なんともな言葉に象徴されている。
要は「お勉強ばかりの人にとって、人は騙すものという」最低限の認識のない
「お人好しの者」だから、利用する方にすれば、とっても好都合であった。
もっとも今だからこんなことを書いているが、その昔はそれは流石に利用され
るということを自覚していた訳ではないし、贔屓目に同じ学生として体制側に
憤懣を集めていたものだが・・・、だからこそこの「みんな夢でありました」
は何かを失った喪失感が、良く理解出来るのだが・・・。
現在は幻想を振りまいて政権交代を後押ししたマスコミも、その政党の体たら
くに「見限り」を見せているが・・・。

こういった文化大革命の暴露本も、今となっては絶版で読むことが出来ないが
「南京」などの話は、この蛮行の後で出てきたのを知れば、文化大革命を紹介
し煽ったマスコミの空恐ろしい「蛮行」の追求逃れと更なる卑しめを御注進し
たと理解すべきなのであるが・・・。
「日本の敵は、何のことはない日本にいる」というなんとも早な中国での出来
事である。
そういえばこの「南京」、宋家の三姉妹でも取上げたが、相対する紛争当事国
の物語としては、エジプトの警察音楽隊のイスラエルでの珍騒動を描いた「迷
子の警察音楽隊」という作品が、公式云々でない民間での「意思疎通」のあり
をか示して、とっても興味深いものであった。

「迷子の警察音楽隊」 〇七年公開作
作り手の良心がとてもほんわかと伝わるホームドラマ的一日の出来事を地味目に
淡々と描いている。
だが、それが中東戦争の当事国となれば、その背景を感じながらだから、愚直な
エジプトのリーダーのキャラクターには、相当な度量感じたてしまう。
そしてそのリーダーと、イスラエルの田舎の飲み屋の女将との交流には、超えら
れない壁を感じつつも意思疎通は図れる。
出だしでの前説とそこから降り立った音楽隊の迎えのない寂しさと、珍道中ぶり
からはユーモアとペーソスが溢れて、ロードムービのそれも醸して・・・。
だが年代が九十年代としているから中東戦争の停止調印後の雰囲気も、田舎に来
ればそんなものは都会での権力者の思惑なのを、その原風景が良く現して、互い
の言語の齟齬となれない英語のやり取りに意思疎通も上手くいかない場面とかを
程度良く挿入したり、恋の仲人をしてみたりと、ほかわかぶりは最後まで続いて
いがみ合うのも「疲れる」という、はっとする日常のやり取りのコミニケーショ
ンに見ている人はほのぼのと笑える。
淡々としてそれなのに爽やかな気持ちになる、まろやかな牛乳みたいな映画。
って、今見ているテレビの影響です。
民間だと棘も柔らかくなる。なんにしても偏向した人々にとっては「こんなこと
ファンタジィーだ」で済まされそうなほのぼのとしたいい映画であった・・・。
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といったところで、またのお越しを・・・。