落ち目、大人気だったはずの低俗文化の身勝手は「性本能と原爆戦」か | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

流石にばれ始めた「大人気」のはずのものが、テレビ的にも数字が取れず、またカラ

オケ大会の様相の「コンサート動員」も底について、さすれば「アリバイ作り」のような

言い訳が蔓延して、「金の切れ目が縁の切れ目」を文字通り晒している・・・。


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2011年、日本の音楽界で猛威をふるった韓国大衆音楽K‐POP。

2010年春のKARA上陸以来、約30組という多くのアイドルグループが日本上陸を果た

し、連日オリコンチャートを賑わせている様子から、日本では大変なK‐POPブームが

巻き起こっているように見えるかもしれない。
もちろん、以前に比べるとK‐POPという言葉の認知度は遙かに上昇し、K‐POPを聴

かない、興味のない人にも、その言葉は耳馴染みと言っていいだろう。


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■ブーム支えは一部のファン

確かに、今、小・中学生の女子の間で、少女時代とKARAの人気は最高潮で、体育

祭や文化祭、学校祭といった文化行事で、K‐POPがBGMとして使われることも特

別ではなくなってきている。
しかし、ネットの掲示板や書き込みページを見る限り「ブームでもないのに、周囲に聴

いている人なんて誰もいないのに、なぜここまでメディアは騒ぐのか」といった論調の

書き込みが圧倒的である。果たして、真実はどうなのだろうか。一言で言うなら、どち

らも正しいと言える。
つまり、今のブームと言われるものを牽引しているのは、ごく限られたK‐POPファン

と言われる数万人のファンであり、決してまだ大衆的なものに至っていないのである。
特定のアーティストを応援するのではなく、K‐POPそのものを愛するファンが、今の

ブームを作り上げ、そして、メディアによって増幅され伝えられているというのが、今

の日本のK‐POPブームの真実と言っていいだろう。


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■バラード音楽巻き返せるか

一方で、CDの販売数はどのアイドルも比較的順調に売れ行きが伸びているが、A

KB48のCDが日本で100万枚のセールスを記録できる背景と同じで、握手会やハイ

タッチ会に参加するための参加券欲しさの購買力で支えられている数字であり、1人

で5枚、10枚と買う人も少なくない。つまり「売り上げ」=「ファンの数」ではないので

ある。問題なのは、アイドル人気に偏ったこの流れによって、「K‐POP」=「アイドル」

というイメージが定着してしまったため、韓国の大衆音楽のイメージは、アイドル以外

思い浮かばなくなってきていることである。
韓国音楽の魅力と言えば、そのメロディーや歌詞の美しさが特徴のバラード音楽と

言われ、その代表格であるバラードの皇帝、シン・スンフンをはじめ、日本で人気のあ

るバラード歌手も少なくない。しかし、最近はアイドル達に圧されがちで、かつてほど

の勢いは感じられなくなってきている。
しかし韓国では、完全にアイドルは飽きられつつある。特に2011年は、「偉大なる誕

生」などのオーディション番組やバラエティ音楽番組「サバイバル 私は歌手だ」

(いずれもMBC)が高視聴率だった。
7人の実力派歌手が毎回新たなミッション曲を歌い1000人の聴衆投票で最下位の

歌手を脱落させる、サバイバル番組の「私は歌手だ」に出演した90年代から2000年

代前半にかけて韓国の音楽界で大活躍したベテランの実力派歌手達が、韓国No1

の歌手の座をかけて真剣勝負する。
この番組の大流行のおかげで、実力派ソロ歌手に再び脚光が集まり、その結果、1

年を通して、チャートを賑わせていたのは、ほとんどがそのふたつに関連したソロ歌

手たちだった。



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■本格ソロ歌手日本でも期待

KARAや少女時代が本国でブレイクしたのが09年。彼女たちが日本で人気を得た

のは10年と考えると、約1年遅れで韓国の流行が日本に伝わっていると考えて良い

だろう。そうなってくると、12年は、アイドル人気は落ち着きを見せ、そろそろ本格的

に“歌”で勝負できる歌手の活躍が、日本でも期待できるのではないだろうか。
アイドル戦国時代も、消耗戦を余儀なくされており、12年末までに、ファンの間でも

精査されていくのではないだろうか。今年は、アイドルにとっては守りの年であり、

ソロ歌手にとっては、日本でのお披露目の1年となりそうである。

(民団新聞、韓国大衆文化ジャーナリスト 古家正亨氏)
http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=362&corner=8

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本国応援の日本国内での「活動」をサポートしていた団体も、金の尽きたものに対し

ては、ネットでいわれていた通りの「事実」を認めて、目先変えるのに躍起のようだ。

以下のようなコンサートでは、いかにしても「大人気」とは言えず「閑古鳥が鳴くコンサ

ート」だろう。


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大人気なのに数字が取れず、おかしな論調が実体暴けば、そりゃ「ゾンビ・ウェーブ」

が事実であったを物語る。

「あおりに煽った」その後に来るのは、流石に分かっていると見えて、これから云々と

か、どこまでも本国追随しか「偏狭なナショナリズム」を鼓舞するしか自分達の生きる

道はない・・・。

と、自慢とホラ話の内実は「金の切れ目」となりそうで、なんだか振り回された人々に

とっては「超迷惑」と、恨めしい限りだろう。

宣伝に金をかけ、そのくせ反感を買いと、やることなすこと嫌われるしかないのだから

「マーティング失敗」の典型・・・。


で、自分だけよければ、それで良しとする迷惑な人々を描いたものに、原爆を絡めた

自己中家族の物語ってのがあった。

それが「性本能と原爆戦」という、邦題が色物みたいな詐欺的命名されたものである。


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http://www.youtube.com/watch?v=IOccKTbUznk

「性本能と原爆戦」 六十四年公開作


邦題は大蔵貢ものだから、そこは内容などどうでも良く、スケベ根性で劇場に足を

運ばせる命名は、罪作りだが商魂は逞しい、ここらはどこか「ごり押しテレビ・メデ

ィア」と風味は似ている。

映画は、突如として原爆が落とされて、時良く休暇の旅に出ていた一家は、住まいの

あるロサンジェルスが壊滅した様を見て、また暴徒と化した市民に目的地のキャンプ

場に向かうのが賢明の策とキンピングカーを走らせる。

一家を守るためなら、人治において銃を手にして、原爆が落ちたためのパニックでも

委細関係なく、ショッピングで小切手がダメとなれば、そのまま強奪したり、自分達以

外は敵とばかり、バリケードも蹴散らす。

まして娘が陵辱されれば、復讐の鬼として・・・。

と、一家を守る奮戦だが、どこか無秩序に陥った時のアメリカの価値判断が独善とな

ってパニックに陥れば、最小単位として家族の守りとはなるものだが、いいさか凶器の

使用は自分の判断に任されるとなるから、見ていると自分の論理が絶対となって、後は

すべて拒否してしまうとなって、自分達の行動は正しく、後の者たちが「危険に及ぶ」と、

判断の乏しさがパニックに陥った時には国家の体は失われるを現しているが、ただ漫然

と見ている原爆のきのこ雲からは微風さへ吹かずに、放射能の危険も全くないと年代の

意識は、パニック時での人間の凶暴さに向いて、時代を感じるものだが、傍目に見れば

とっても迷惑な一家とも映る行動パターン・・・。

にしても邦題の性本能とは、娘の陵辱なのだが、そこは語られてしまいだから、なんとも

そんな期待のシーンもないし、まして原爆戦というものもどこが落としたかでなく、その後

の一庶民の行動に焦点だから、邦題のイメージからはとんと外れすぎている。


と、イメージしたものとの違いと、またその行動パターンにおける自己中としてみれば、

他の人達にとっては「迷惑」でしかないのでは、どこか似通った性質が五十年前の

意識と似通っているのは、はて「進歩のなさ」か、はたまた・・・。


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                     といったところで、またのお越しを・・・。