復興に立ち向かう、先人達の教えを胸に刻め「凛として愛」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

暑い日が続き、熱中症の猛威が震災地でも「復興・復旧」の障害になっている
ようで、なんともスピード感のない「政権与党」の体たらくばかりが目に付く
のだが、その割りに「ある行事」については、口ごもるでなくさらっと明快な
言葉を発するのだから、その明快さを「国民の生活が第一」に向ければいいも
のをと、思うのだが・・・。
勿論、この季節からの「靖国神社参拝」の是非についてのコメント・・・。

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菅内閣の全閣僚は12日の閣議後記者会見などで、15日の終戦記念日に靖国神社
を参拝しない考えを示した。昨年も全閣僚が参拝を見送った。
中国や韓国などアジア諸国との関係を重視する民主党政権の姿勢を反映した形
だ。菅直人首相は昨年の就任後の参院本会議で「首相在任中に参拝するつもり
はない」と言明。事務所は「(今年も)行く予定はない」としている。
江田五月法相は参拝しない理由を「靖国神社は先の戦争で国民を戦争に駆り立
てる役割を果たした。戦争責任や諸外国に迷惑を掛けたことを考えるといかが
なものか」と説明。
細野豪志原発事故担当相は「ときどき参拝しているが、8月15日に参拝するこ
とは、全く違う政治的な意味合いがあるので、参拝しない」と明言した。
他の閣僚も「首相の方針に閣僚としては従う」(中野寛成国家公安委員長)
などと話した。
 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110812-00000060-jij-pol
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今更、こんな御託を読ませられる国民はたまったものではない。
それだけ明快に応えられるなら、「職務を忠実に履行せよ」だろう。
にしても、あの「ウジテレビ」と揶揄されるところも、反響の大きさにびびり
始めて、内部では相当な動揺が広がっているようである。
「何かを忘れてしまった日本人」・・・。
凛とした態度がとれぬ情けなさは、この季節がもっとも「痛烈に感じる」もの
となって久しい・・・。

四の五の言う前に、全編を投稿してくれた人に感謝しつつ、この映画をリンク
した・・・。
時間の許す限り、見て貰いたいものである。

$流浪の民の囁き



「凛として愛」 その一



「凛として愛」 その二



「凛として愛」 その三



「凛として愛」 その四


$流浪の民の囁き




「凛として愛」 その五



「凛として愛」 その六



「凛として愛」 その七

先日、恩師の追悼の「偲ぶ会」というものに出席した。
自分の予想に反して参加者が少なく、「こんなものかと」がっかりした。
それでも集まる人々は、慕っている。あるいは記憶にあるから年代の幅
に「偉大さ」を感じずに入られなかった。
勿論、自分が教えられている期間は「怖さ」しかなかったのだが、時の流れ
が「誤解を解いて」いや自分の経験の末に、より性格を斟酌出来る「すれた
感覚を備えてしまった」と俗に言う「大人になった」のかも・・・。
そして何より恩師の記憶の凄さに驚嘆したものである。
五十年間その職についていたのだから、教え子は相当な数にのぼり、その一
人ひとりを記憶している・・・、いや、久しぶりに顔を合わせただけで、
自分の息子の行く末を気に掛けてくれたのには・・・。
人それぞれに「記憶」の中にある思いは、風化せずを「遺影」を眺めながら
つくづく感じた・・・。
「日本人が忘れつつある」先人への「恩と感謝」、今一度ふり返る機会に
やはり「敗戦記念日」はあるように思う・・・。


             といったところで、またのお越しを・・・。