明るい展望でもない「辞める総理」の戯言をわざわざ記者会見をして、それが「受け
の良さ」の脱原発なのだが、「脱原発」を言ったはいいが、そ方策もタイムスケジュー
ルも示さずの「相変わらずの掛け声」に、大概の人が「またかよ」なのだが・・・。
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エネルギー政策は社会と経済を支える国の基本だ。菅直人首相が記者会見で
「将来的に原発に依存しない社会を目指す」と政策を大転換する考えを打ち出した。
だが、その内容は全く不十分で、無定見ですらある。
・退陣を表明して「死に体」となっている首相が新たな政策に取り組むことがあって
いいのか
・「原発への依存度を計画的、段階的に下げてゆく」と明言、しかし10年、20年単
位での基幹エネルギーの転換をどう円滑に進めるかを全く説明しておらず、無責
任以外の何物でもない
・唐突なストレステストの実施で原発の再稼働は遠のいた、このままだと来春にも
国内すべての原発が停止
・節電と企業の自家発電の活用などで乗り切れるとしたが、エネルギーの安定供
給という政府の責任を放棄
・電力使用制限令で家庭や企業は重い負担を強いられている。企業・工場の海外
脱出も出始めている
・再生エネルギーの比率を高めれば、電力料金が上昇するのは必至
・原子力安全・保安院を経産省から切り離す方針は検討すべきであるが、原発再
稼働の判断を先送りする口実
これまで菅首相は、重要政策について政府・与党内できちんと議論することなく、
その場限りで思いつきの発言を繰り返してきた。
単なる政権延命のためだけの政策転換は、もう許されない。一刻も早い退陣こそ
求めたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110714/plc11071403000004-n1.htm
菅首相が13日、「原発に依存しない社会を目指す」と記者会見を開いて表明したこと
に対して、原発を抱える各地の自治体からは賛否の声が上がった。
「方向性は理解できる」。福島第一原発がある福島県大熊町の渡辺利綱町長はこう
賛意を示した。
「原発の安全神話を信じ過ぎ、取り返しのつかないことになったと痛感している」と話す
が、一方で「簡単にほかのエネルギーに方向転換できるのか疑問もある」と複雑な心
境ものぞかせた。
これに対し、東京電力柏崎刈羽原子力発電所を抱える新潟県刈羽村の品田宏夫村
長は「脱原発の社会がどういう社会なのか説明がないし、これほど子供じみた話もな
い」と切り捨てた。
関西電力高浜原発のある福井県高浜町の野瀬豊町長も「代替電力をどうするかが示
されず、リアリティーが全くない」と批判する。
2011年7月14日09時14分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110713-OYT1T01159.htm?from=main1
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この発表に官房機密費のマスコミ対策が、それなりに効果を示せば「失政続き」の
カバーになると「取らぬ狸の皮算用」を側近にでも耳打ちされたのだろう。
相当に「いいとこ取り」のみに終始して、後は何とか「言葉」のみで政権の権力にしがみ
付くが、見て取れたしまう惨状には、「潔さ」の美徳は一切なくて、国民の「明るい光り」
を求める希求は萎んで、それの変わりに台頭してくるのが「暗闇の恐怖」あるいは先の
ない「トンネルの中」という表現が適切になってしまう・・・。
という嘆きが、国中に溢れてしまったら、それこそ「絶望」の二文字がのしかかる・・・。
で、今も昔も人間が「暗闇に恐怖」を感じるのは、視力的自覚出来るが大概の健常者の
再認識方法だからだろうし、見えないというものが心の不安を増幅させてしまう・・・。
この「暗闇」の都市伝説は多くあり、そのための「光への憧憬」が文明を発達させたと
もとれるし、その最大のものが「原子力」、そしてそれの事故が人間に未曾有の災害を
もたらすのだから、文明の発達が「暗闇」を解消させてくれたが、行き過ぎた不安定も
露呈させてと、天に唾を吐いたら、自分に降りかかったのそれと同じ・・・。
そんなところに「暗愚」なリーダーを配しているのだから、日本の国民にとって「暗闇」は
事象だけでなく、心奥深くへと浸透してしまう・・・。
そこで「暗闇」を題材にして、恐怖を再現しようとする試みの沢山の映画でも、リーダー
に相通じる「支離滅裂」な感想が出るのが、「ダークネス」という映画である。
http://www.youtube.com/watch?v=lltOrcviQ4I&feature=related
「ダークネス」 〇三年公開作
七人の子供の失踪が起こった村で、その一人が逃げ帰って・・・。
その保護された少年は、意味不明な言葉ののみを羅列して、大人たちを当惑
させる・・・。と、プロローグは意味深な「不可解事件」を取り繕って・・・。
あれから四十年過ぎた村に、アメリカからやってきた一家が、その父親は精神病
らしく、その療養をかねてなだが、出だしとこの一家の「ギスギス」感から、恐怖の
盛り上げ方に今一付いていけず、いろいろな手法を取り入れても、興味を引かない
だけにどんな使い古された映像の恐怖描写も、「はぁ、それからどうした・・・」の突っ
込みを入れたくなる、先回りして予測出来る出来事に、さらな脱力して明確なストー
リーが確立していない寒々とした映像手法に飽きが来る。
兎に角、家族的温かみが感じられず、この場合一番に気合が入りそうな「母親」が、
トンでもはっぷんのキャラクターだから、中盤から後半にかけてやっと「母親」らしさ
をだされても、もう興味がうせて、大体に関心があるのは「娘の胸の揺れ」のみと、
映像の見方も、恐怖の期待でなくなって変な方向へと鑑賞法が変化して・・・。
そしてまるで「政権与党の迷走」と同じ、キャラクターの確立が崩れているから、ミステ
リー的盛り上げも、しょんぼりとしてしまって精神病の父親が四十年前の生還した少年
なのは、そして娘がおじいちゃんと慕う男が父親の、そこに密教の云々も、もはや「単に
辻褄あわせ」みたいな演出となって、支離滅裂のまま「終わって」いた・・・。
まぁ、原因に「皆既月食」の暗闇からの脱出法の「昔の迷信」も絡んでいるのだが・・・。
と、見ていて展開も何も、政権与党の「ぐだぐだ」さをトレースするから、見ているうちに
我等がリーダーの不甲斐無さが重なって、見終わればため息になった・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=xfvAF-UdS_o
「黒の怨 ダークネスフォール」 〇三年公開作
同時期の公開で、こちらの方がそれなりにいや恐怖といっても「ローティン向け」恐怖
映画の趣があり、都市伝説的言い伝えの「教訓」が生きている・・・。
もっとも恐怖を感じるよりも、中世の「魔女裁判」のそれも子供の「失踪」の原因追求は
単に「仲間入りしない人」への排除と通じて、それが無実となって「怨念」が迫害した人
にプレッシャーとなって、より強く圧迫して、暗闇の恐怖がそれを増幅させる・・・。
マチルダという子供好きが、村人の偏見により「無念の最後」、それが暗闇という恐怖の
「黒さ」と相まって、より恐怖の存在としての「暗闇」に誰もが恐怖を感じる・・・。
と、どこまでも光の届かない暗闇と、その怨霊退治には「光しかない」設定は、よりよき
教訓として、「夜は外出を控える」
闇という「胡散臭い恐怖」と、人間の醜い性根を「暗闇」に例えれば、「悪いことはするも
ではない、どこかで神は見ている」的、宗教がかって「暗黒イコール悪」をイメージすると
恐怖映画もまた「宗教的教訓映画」に早代わり・・・。
もっとも「暗闇」でも、執政者の「暗愚」においては「生きる希望」を打ち砕く力を持ってい
るを執政者は自覚出来るか否かによって、暗闇に光を射してくれることもあるが、今の
リーダーでは暗闇も「漆黒の闇」へと導いてしまう危険性を、たっぷり持っているのは、
日本の国民の不幸を、より以上に早めてしまう・・・、って、相当に無理を承知で関連付け
て見た・・・。
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- Amazon.co.jp といったところで、またのお越しを・・・。