卑怯この上ない「無所属」と悪名高い「アミン」との差は・・・。 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

自業自得の行いなのに、空気が悪くなれば「他人に厳しく、自分に甘い」人々は

隠れ政党なしとして「無所属」を選択する。


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<「民主」では勝てない 政権低迷…相次ぐ「看板」返上>

産経新聞 2月12日(土)19時6分

菅直人内閣の相次ぐ失政に、小沢一郎元代表をめぐる党内抗争と、ゴタゴタの尽きな

い民主党に愛想を尽かし、4月の統一地方選で「民主党」の看板を返上する動きが相

次いでいる。「嫌気がさした」。街頭でそう叫ぶ候補も出てきた。共同通信の世論調査

では、菅内閣の支持率は危険水域の1割台に突入しており、「求心力」ならぬ「遠心

力」ばかりが強まる。(加納宏幸)

 ■政権交代で目的終わる

民主党を離党しました-。千葉県浦安市議の堤昌也氏(35)は最近までこう記したチ

ラシを市内の駅頭で配っていた。

堤氏は平成19年に民主党公認で初当選。統一選で再選を目指しているが、国政選

挙で市議をこき使う「ハイパー・トップダウン政党」(堤氏)ぶりに嫌気がさして離党した。

「政権交代で民主党の目的は終わった。解党すべきだった。チラシですか? 民主の

看板を掲げていたのだから、市民に離党を報告するのは当たり前」

宮城県議選に出馬する同県七ケ浜町議の遠藤久和氏(51)は、推薦を返上した一人だ。

「一括交付金の自由度は高まらず、一番期待していた地域主権が中途半端。

結局、民主党は政権交代だけを目的とする政党だった」と断じる。

 ■首相のおひざ元で

衆院選の「中選挙区制」時代に菅直人首相のおひざ元だった東京都国立市でも同様の

動きが出た。

「菅さんは自分のポストにしがみついているだけ。有権者は政権交代に期待したのに与

謝野(馨経済財政担当相)さんを起用し、人のふんどしで相撲を取っている」

国立市の生方裕一市議(50)は次の市議選では、みんなの党から立候補する。平成

10年の新民主党結党以来のメンバーで伸子首相夫人が応援に入ったこともあるが、

衆院選マニフェスト(政権公約)をないがしろにする党の姿勢に我慢がならなかった。

 「やりますと言ったことができないのなら説明すべきだ」と生方氏は言う。

 ■逃げる候補者



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統一選での候補者の民主党離れは深刻だ。同党は44道府県議選で約1300人の擁

立目標を掲げたが、党本部が何度督促しても公認、推薦は増えず、現在、計750人に

とどまる。表面化しただけで10人以上が公認、推薦を返上。「尻込みして出馬要請に応

じない人や、ポスターから民主党の文字を外した人もおり、100人規模で民主党から逃

げている」(民主党関係者)という。

民主党の生方幸夫選対委員長代理は「既成政党への不信が全国的に広がっているの

は確か。早く来年度予算案を成立させ流れを変えたい」と語るが、きっかけがつかめな

い状態だ。


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一年前までなら、それこそ「政権交代」は幻想の金字塔だったはずで、民主党議員という
バッチは輝かしいものだったはずである。
それが完璧な詐欺的マニフェストの露見以来、なんと「隠れ民主党」として無所属で議員
にぶら下がるとは・・・。
ことの大小はあまりに違うが、自分の行動にある程度の責任はあるものだろう。
それによって酷い異名を被っても、それは「自己責任」の範疇に入るもである。
それに加担した者も、その責は免れるものではない。
それだけに「無所属」の隠れ民主党というのは、唾棄すべき存在となりうる。
そんな異名の映画があった。
「食人大統領」としてつとに有名なウガンダの独裁大統領アミンを扱ったものである。


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「食人大統領アミン」 八十二年公開作

邦題のつけ方が酷すぎるものであるが、その当時の流行が「モンド映画」にあったを
鑑みれば、相当に残虐な独裁者には似つかわしい題名かも知れない。
もっとも「邦題」に惹かれて見た人は、それこそ一昨年のマスコミの「宣伝広告」並みの
論調に騙されたと同じ感覚かも知れない・・・。
原題にある「栄光と挫折」の日々を、殊更にドキュメント風に描いているのだが、そこは
映像倫理の範疇だから、それこそ「邦題」に釣られた人は肩透かしである。
ただ残虐のそれはある程度随所に展開されるが、実際は独裁者を手のひらで操る人物
達の腹黒さへの切り込みはないから、一人の人物がすべての「汚名」を負う結果となって
「酷い邦題」みたいになって来る。
そこで映画人としての良心があるのか、それとも全く違った人々によって、裏であやつる
人々の「悪辣さ」も、残虐な独裁者の裏に存在したを認めたのが、以下の同じ人物を描い
た作品となって来る。


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「ラスト・キング・オブ・スコットランド」 〇七年公開作

題名が示すとおり、ウガンダでなくイギリスの王として独裁者を見ていると、
植民地としての立場がより鮮明になり、そしてその独裁者の台頭を後押ししたのが
どんな勢力か窺い知れる。
もっとも架空の人物を押し出して「自国の醜さ」を和らげるのもまた忘れないと、姑息
とも取れる「マスコミ的民主主義」の欺瞞も散見できてしまう・・・。
ただ、主演の男はアカデミーの主演男優賞を取っているのだから、それだけ演技は
確かなのだろう。
菜食主義者であったものが、食人とかの肉食系に持っていかれ、残虐の限りを尽くし
たとはかけ離れて、悩みや持病、家族思いの一面ももぞかせ、そこにいたる経過を丹
念に描けば、事の残虐性とそこへいたる「狂気」には、ある程度の人間性が垣間見える。
と、前の作品とは程度問題であるが、狂気的残虐性の側面が誤解を取り除いてくれる
もとになっていた・・・。

とまぁ、独裁者アミンの残虐性は、その育つ土地の風習もあり、それが残酷でなく当た
り前の国の出来事であったもまた、その国の民度の問題である。
そして「カメレオン」みたいなどっちつかずの「腹黒さ」を持つのは何時の時代でも、マス
コミと呼ばれる「言論を操る人々」となり、この場合のスコットランドという語句の批判も
また植民地という「搾取の論理」の裏側であったろう。

同列に扱っては、どちらが卑怯は異論がありそうだが、すべからく「自分の利益」が優先
され、大義名分の「国民の生活が第一」は誰も斟酌する気がないのは、はっきり分かる。


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Amazon.co.jp                 といったところで、またのお越しを・・・。