神経質な狂者の社会憎悪「マッドボンバー」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

不況や境遇変化に自分自身への「不甲斐無さ」の転嫁として、社会に対しての「憎悪」

という「他人のせい」が精神を支配し出せば、対象のすべてが「憎らしく」そこに傾注し

て「秘かな楽しみ」と、瑕疵のない庶民の犠牲も心が痛まなくなる。

そんな病的人間が、高度な技術力を持っていた場合、そこには「社会不安」を醸しだす

衝動が生まれるものである。

あのアメリカにおける無差別攻撃をしでかしていた「ユナボナー」も、その範疇に

入りそうである。


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「セオドア・カジンスキー」(アメリカ)

アメリカ史上最もインパクトのある爆弾魔。「ユナ・ボマー」と名乗りテロ行為を行い、

全米を震え上がらせた。
1978年から1996年まで18年間に渡って警察やFBIの網をかいくぐり、精巧な爆

弾を16回にわたって大学や航空会社に送った。モンタージュが全国をくまなく行き

渡り、捜査機関が必死の捜査を行う中、犯行を続けた。
死者3名。負傷者23名。
犠牲者の一人、トーマス・モーサは広告会社役員。
彼の妻は裁判で、1歳3ヶ月の娘が、血を流して倒れている父親のそばで「No、no、

no、not my Daddy!!」と泣き叫んでいたと、涙を見せながら証言した。
1995年、3万5千語に及ぶ声明文をNYタイムズとワシントンポストに送り、掲載され

れば犯行を停止するとの条件を突きつけ掲載させる。
しかし、この声明文を読んだカジンスキーの弟デヴィッドが、兄から来る手紙が声明

文に酷似しているとして警察に通報。1996年逮捕される。
動機は、「技術に頼り、人間性を失っていく現代に対する復讐。」としているが、矛盾点

や支離滅裂な所も多くあり、ハッキリしないカジンスキーは、生後6ヶ月の頃、パラノイ

ア(全身の皮膚にデキモノができる)を患っており、母親すら面会できない状態だった。
病弱な体質は成長に連れて改善したが、次第に自分の殻に閉じこもるようになる。
学校の成績は最高に良く(IQ175)、16歳でハーバード大学に入学。
博士論文が絶賛を浴び、カリフォルニア大学で、終身保証付の教授となった。
しかし、教え子達がエンジニアになっていく事に、大いに不満を感じていた。
それは、エンジニアという職業が「近代科学の申し子」で「環境破壊の先兵」と彼が考え

ていたからだった。自ら大学を辞め、モンタナの山奥に山小屋を建て、電気も水道もな

い環境で20年間孤独な隠遁生活を送る。
逮捕後、弁護士は精神鑑定を求めたが、本人は精神病ではないと主張し、自ら有罪を

認めた。終身刑を言い渡され、現在も24時間監視付きで服役している。


「現代文明の発展は人間性や生態系を破壊する産業革命は絶対悪であり、文明社会


を発展させるために追求した技術の進化によって、それを創造した人類もが支配され

てしまう」と主張した上で、自然への回帰を促した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AA%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

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技術力と経験が「悪い方向」に向かえば、上の「ユナボナー」の件でなくとも、テロリスト

としてそれこそ大多数の人々に「不安と恐怖」をもたらせてくれる。

この日本でも「草加次郎」という迷宮入りしてしまった「連続爆弾爆発事件」というものも

あった。

そんな「社会不安」と、そして精神疾患を患ったかの一見すれば普通と思われる危険人

物が「犯罪」にいたる経緯と、「独善性の社会正義」の恐ろしさを垣間見せるのが、映画と

して先がけになったのがこの「マッドボンバー」という映画ではないだろうか。



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http://www.youtube.com/watch?v=Pl65laykr3E&feature=related

「マッド・ボンバー」 七十四年公開作


製作時期は「ユナボマー事件」の発生する六年前の七十二年であるとなれば、

事件を模倣した「経験値」で、ある程度の「爆弾魔」のキャラクターも出来上がる

が、それらの事件も挙がっていない時点での映画は、脚本がその犯人のキャラクタ

ーの見本的「社会に対する憎悪」が自分自身の境遇の変化と合致して「他人のせい」

へと潔癖症の人物の方が陥りやすいと示唆したものとなって、これまで「大概にしろ」

と何でもでかくすることのみに傾倒してきた「ミスタービック」ゴードン監督が、その胸中

の変化よりは、社会悪と小さな慈善の齟齬には精神的アンバランスが生じれば、社会

不安大きくする要素が潜んでいる・・・。

自分自身の中で、自分に起こった「災難・不幸」を処理出来ぬままになると、それが憎

悪と変化した時、経験値と技術力の裏打ちがあれば、社会不安を増大することが出来

る・・・。そしてその行為は自分の狂気に気付くことなく「自分の思う社会正義」の実現へ

と狂信的に付き従う。

この映画の主役は無骨な顔立ちが強くもアリ、そしてそれが神経を病めば「怖さ」に通

じてしまうを体現しているチャック・コナーズで、些細な公衆道徳のものでも、病的に相

手に強要してしまう自他の区別が崩壊していく男を良く演じている。

この前の「デビルスゾーン」の役柄もここからの延長と考えれば、さほど違和感がなく

「病的な大人」の役柄には、そのいかつくがたいの良い身体と顔は合っている・・・。

そしてこの映画は、病的な人物として「強姦」でなくては、性的満足を得られぬ男も同

時に登場させている。

場所はロスアンジェルスで、警察の動きと犯人の動きを対比させて、常磐から丁寧に

描いている。

もっとも監督の力量なのか、テンポは至ってゆったりだし、緊迫感は感じられない。

そこがテイスト的に、低予算のなせる業か、爆弾爆発にしても同様である。

映画的には盛り上がりに欠けたままだから、失笑を禁じえない。

ただ些細な出来事の積み重ねが、大事に至る。あるいは人の素行を変化させていくを

丁寧に描いているとも取れると、社会的落伍者と狂的犯行の融合というものに対しては

低予算がかえって良い結果として、病的社会の底辺を見せている側面もある。

何より警察からの追求から「強姦魔」がつかまり、危うく自分もとなって「強姦魔」の爆殺

場面は、とっぷりと皮肉もそして「性的満足」のうちに爆殺される「強姦魔」には、その自

分では満足、しかして社会的には悪、それが木っ端微塵に消し飛ぶでは、「悪には悪で

対処」も、哀れであるし笑ってしまうけれどそれなりの爽快感がある。

そしてラストまでの変化ないまったり感が、自爆という形で終結するのは、アクションとし

て映画を見れば、あっけないものだが、狂信的社会正義を貫く主人公の消し去り方は、

模倣の危惧を考えれば、最善な撮り方となって来る。

だけにあの「ちっちいものを殊更大きく見せるだけ」の監督にしては、それなりに低予算

でよくぞ撮ったり一本ではなかったか・・・。


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http://www.youtube.com/watch?v=RKCchV28-ak

「ライフルマン」

無骨な西部劇の主人公も、その「開拓時代」からの道徳も変化してくれば、狂的な

人間変化に見事にはまった・・・。

もっともこの「ライフルマン」のキャラクターからの逸脱には、イメージ的にショックも

多少はある。それが幼少期からのものだとなおさらである。



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Amazon.co.jp といったところで、またのお越しを・・・。