何もかもが熱かった時代に逆戻り | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

宇宙船に乗ってやってきた御仁は、夫婦ともどもやはり「地球の常識」は通じないらしく
今の状況が「緊急」ではないらしい・・・。
だけに政策が少しぐらい遅れても、という「だらけた気分」があるや無しや・・・。

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何より「温暖化」に対する利権団体が小躍りする耳障りの良い数値目標を打ち出せば、
それに対しての「反応」も、小泉の「パクリ」をやりたいらしく・・・。
で、数値目標が七十年代並らしいと聞けば、熱かった時代、変革の時代と・・・。

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★温暖化ガス「25%減」目標、海外排出枠も活用 民主

・民主党は鳩山由紀夫代表が表明した温暖化ガスを「2020年までに1990年比25%削減」する
中期目標について、海外から取得する排出枠や森林の吸収分も含めて計算する方針を固めた。
国内での削減量にあたる「真水」に上乗せし、実現性を高める狙いだ。大量の排出枠購入には
新たな財政負担が伴うため、温暖化ガスの排出に課税する地球温暖化対策税の導入も視野に
入れている。
真水とそれ以外の内訳は新政権の環境相や経済産業相、外相らでつくる閣僚委員会で検討する
見通しだ。鳩山氏は7日、中国やインドなどの参加を前提に、麻生政権が掲げた「05年比15%減」
(90年比8%減)を大きく上回る中期目標を表明した。ただ麻生政権は目標に国内削減分だけを計上。
鳩山氏は内訳を明言していなかった。
 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090914AT3S1300U13092009.html


温室ガス25%減、鳩山代表が明言
9月7日13時29分配信 読売新聞

民主党の鳩山代表は7日午後、東京都内で講演し、日本の2020年までの温室
効果ガスの削減目標(中期目標)について「1990年比で25%削減を目指す」
と述べ、衆院選での同党の政権公約(マニフェスト)通りに実行する考えを表明した。
鳩山代表が中期目標について衆院選後に明言するのは初めて。民主党の公約の「25%
減」には経済界から「省エネの進んだ日本には過大な負担。経済に悪影響を及ぼす」との
強い反発が出ており、今後さらに論議を呼びそうだ。
鳩山代表は今月下旬の国連の会議で新政権の温暖化対策について表明する方針。
この日の講演で鳩山代表は「(25%削減は)我々の政権公約であり、政治の意思としてあ
らゆる政策を総動員して実現を目指す」と明言した。さらに「我が国のみが削減目標を掲げ
ても気候変動を止めることはできない。すべての主要国の参加による意欲的な目標の合意
が我が国の国際社会への約束の前提となる」と述べ、各国にも高い目標による削減行動
を促していく考えを強調した。
中期目標を巡っては、麻生首相が6月、「2005年比15%減(90年比8%減)」
を表明していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090907-00000586-yom-soci
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どだい無理な数値目標、産業の空洞化は「この党が持っている社会主義的全体主義」に起因
して統制経済へでも誘うのか・・・。
単年度の「バラマキ」なら辻褄合わせも出来ようが、固定化した補助と相反する削減目標。
七十年代・・・、それは動き出した若者が何かを信じ、そして何かを喪っていった・・・。
六十九年の「ウッドストック」に夢が膨らみ、そして「オルタモント」で萎んでいった
歌の力・・・。激動の社会情勢と、若者達の自我と喪失感・・・。
ある意味、音楽はそれなりに、そんな人々を救っていたかも・・・。
と、温暖化の削減目標から、熱かった時代を思い出させるって、とっても皮肉・・・。
主観と偏見で選んだ七十年代の音楽で、気分を落ち着かせよう。
突然、西海岸へ若者が集まってきた訳でもなく、そこにはそれなりの動きがあり、
その象徴のような曲から・・・。



「夢のカリフォルニア」 ママス&パパス  六十六年
サンフランシスコに集まりだした若者達の「非抵抗、不服従」
泥沼化する「ベトナム戦争」への厭戦気分が、花に表され・・・。
今で言う「お花畑脳」の走り・・・、もっとも当時としては「静かな
抵抗」に共感は広がり、アメリカ社会は無視出来ないほどに
膨れ上がり・・・、ある意味希望に満ちた軽やかさが、暗い歌を
ばら色に変えていった・・・。





「アメリカン・ウーマン」 ゲス・フー 七十年
カナダのバンド、これが印象に残っているのは「武道館来日コンサート」
のお話しがあるから・・・、ロックが日本の若者を席捲していた時だが、
一万人は入れる武道館、五百人程度では、さぞかし演奏には熱も入らなかった
ろうに・・・、動画は日本とは違って「昔取った杵柄」に称賛を上げる人々
のもの・・・。メンバーも年を・・・。




「ミー・アンド・ボギーマギー」ジャニス・ジョプリン 七十一年
死後に発売されたアルバムに、他人の曲を自分の気持ちとして謳う
姿勢は、「生き急ぎ」の印象・・・。
ただ音からは年を想像できない。ある意味、それも・・・。




「テイク・イット・イージィー」 ジャクソン・ブラウン 七十二年
張り詰めた緊張感から解き放たれた「ノンポリ」という揶揄される
それまでの曲調、詩をあざ笑うように「気楽に行こうよ」どうせ
世の中変らない、ある意味その通り、抵抗しても無駄、それよりは
何者にも縛られず自由に・・・。




「リッスン・ツー・ザ・ミュージック」 ドゥビー・ブラザース 七十三年
音楽にすがる気持ちには、まだ力強さも残り、アメリカらしい骨太の気骨
も感じられる。






「カリフォルニアの青い空」 アルバート・ハモンド 七十四年
ウエスト・コーストのムーブメントは全米へと広がり、その象徴のカリォルニア
への憧れは、こんな歌になって帰ってくる。
もっとも放題からするイメージとはかけ離れた「喪失感」が時代を象徴して
カリフォルニアには雨が降らないってうそだった。
と、憧れに打ちひしがれたこの頃の青年の心情がよく出ている。




「ランブリング・マン」 オールマン・ブラザース・バンド 七十五年
ブルース・バンドが「さまよい人」を謡えば、やはりカントリー・ミュージック
要素はふんだんに溢れ、抜け出したい思いからの脱却が図られる。





「ライク・ア・ハリケーン」 ニール・ヤング 七十六年
悲壮感を歌に込め、怒りの矛先へ憎悪も増幅させる。
音楽の持つ共通認識への期待にのめりこんで行く歌い手が
「音楽で社会は変えられない」という現実に引き戻された時
その無力感を叩き込めるのも、やはり音楽・・・。
男女の歌に乗せ、大嵐にさいなまれる人々へのエール・・・。
六十年代後半から吹き荒れたフラワームーブメントの終焉は、
音楽的な境地を飛躍的に向上させたが、そこにはおのずと知れた
限界があり、壁に気づき始めた若者は、おとなしくなっていく。




「ホテル・カリフォルニア」 イーグルス 七十七年
ひとつの時代の終りは、喪失感と悲哀に満ちた優しさで構成される。
「優しく迎い入れて貰える代わりに、そこから抜け出すことが出来な
くなるジレンマ」に苛まれて・・・。
一時代の終焉に相応しい楽曲は、出来るべくして出来た傑作となって
後世へと流れていく・・・。
そこには「変えられなかった自戒も込めて・・・」
夢から醒めれば、ホテルでの「傷のなめあい」・・・。
それでもそこには、「人間らしい優しさに溢れていた」

いかに言を労せようとも、人間不信に陥れば・・・、
以下のような「気恥ずかしい言葉」に違和感と不審さを溢れさせる。


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                   といったところで、またのお越しを・・・。