音楽の出来が支えた映画「菊次郎の夏」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

バックに流れる音楽の出来如何で、映画の出来が今一でも耳からの記憶で印象に残る

ことになる映画というものもある。

そんなものの中に、宮崎アニメの音楽担当、久石譲の曲が使われたものに、この「菊次郎

の夏」も入るだろう・・・。



菊次郎

http://jp.youtube.com/watch?v=u5fv5kI6sEQ

「菊次郎の夏」 九十九年公開作


ストーリーは「母を尋ねて三千里」的子供の夏休みに同行するヤクザ崩れの男との

珍道中を活写したロード・ムービーなのだが、そこで狂言回し的に使われる「サマー」が

何とも何気ない映像の描写を、なんだかとても「愛しい」ものでもあるかのように、見ている

ものの「ノスタルジィー」を擽っていた。

出だしからバックの音楽で「優しい物語」を想起させて、子供の境遇に同情する大人・・・。

というか、同じような道程を歩んだ者の優しさを、そっと音楽に乗せているから観客は、実際

はとても退屈するテンポにも、ゆったり構えて見ていられる。

と、少々冗漫な物語に退屈したこちらは、「この音楽がなかったら、ただの愚作だなぁ・・・」

が、見終わった後の感想である。

と、これを取上げるのは日本放送協会の放送で宮崎アニメの音楽を支えた久石の「武道館」

コンサートを見ていたからである。

「天空の城、ラプュター」のマーチングバンドと六百人の合唱の壮大さが、もうアニメの作品で

なくとも活劇大作のバックに流せるだろう迫力に圧倒された。

映画にとっての音楽は、耳からの記憶として物語を構成できてしまう威力を持っているが、

ただこの「菊次郎の夏」には、音楽だけが残り、残念ながら物語のエピソードは残りそうもない。

すぐ行く季節の優しさとか、過ぎ去った時間の優しさとか、これまでの暴力を極力控えて、「取り

返せない時間」の愛しさを画面にぶつけた監督の意図はわかるとしても、やはり間が・・・。

ホーム・ドラマとして、それも日本のホーム・ドラマとしては、日本人でなく外国人にとってみれば

「魅力」的な作品と映るかも知れない。小津安二郎的なものとして・・・。


にしても映画の音楽で、その映像さえも優しさに包ませる旋律は、耳に心地良く安らぐもので

あるを再認識させてくれる。

菊次郎の夏
¥3,590
Amazon.co.jp                       といったところで、またのお越しを・・・。