成人男性といたいけな少女を、傍から見れば「親子」以外で
見れないとなると、眉をひそめる関係か、あるいは・・・。
と、常識的見方は否定出来ないが、その二人に通う心の
交流までを見通すことが出来ないと、やはり悲劇的結末が
起こってくる・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=D7oGMmERuMM
「シベールの日曜日」 六十二年公開作
記憶喪失の戦闘機元パイロットと、修道院に引き取られる少女との心の交流
と、それへの理解が足らない大人との軋轢が、悲劇的結末を迎える静かな
哀しみが観客の心を幣ぶる。
この愛らしい少女の演技なくして、この映画の静かな感動はないものだが、
記憶喪失の男を演じたのが、どこか寡黙でありながら全身から優しいオーラが
出ているハーディ・クリュガーなのが実にいい・・・。
物語は、インドシナ紛争で攻撃中、誤って少女を撃ち殺したと錯覚する男の贖罪
がより危険な戦闘に駆り立て、やがて撃墜され記憶を失う・・・。
本国に戻り、静養に務めていた男はとある修道院での、日曜日の面会に両親が
こない少女の父と間違われ、それからは日曜ごとに親しく会い、交流を深めていく
そして誰もが家族と過ごすクリスマスに、両親のいない少女と記憶のない男はささ
やかな宴を催し、親しみが更に増していく。
この時初めて少女は、名前を男に教え、また男も以前、名前を教えて欲しくば、教
会の屋根の上の「風見鶏」をプレゼントしてくれたらを実行に移す。
記憶がなくなって以来、高所が苦手になっていた男は、不思議なことに屋根に上っ
ても頭の痛みを感じなくなった。トラウマとなっていた何かがなくなった・・・。
しかしそんな男と少女の関係を、理解出来ない大人にとって、おとこの精神が変質者
という扱い、これには男に恋心を抱く女もであるが、その女から相談を受ける男の理
解力の低さが、少女に迫る危険となって映り、警察への通報となってしまう。
やがて記憶のない男は、屋根から取った「風見鶏」とナイフを持って、少女の待つ元へ
そこに知らせで駆けつけた警察は、凶器の存在から記憶のない男を撃ち殺してしまう。
その時、少女は保護され意識を失っていた。
そして意識を取り戻し、記憶のない男が殺されているのを見るにつけ、警察に名を聞か
れても「ノーネーム、名前はもう必要ない・・」と叫んで泣き崩れてしまう。
心を閉ざしたままの少女が、記憶のない男との交流で心を開きかけた時、「名前を告げ
る」行為をし、再び心を閉ざした時、上のセリフを吐くという、相当に静かだが失いかけ
ている心の交流というものを、この映画は良く再現し、心の閉ざしと開放に「名前」という
固有名詞を持ってきているのは、なんとも憎い演出である。
で、この映画、よーつべに全編上がっていて、時間のある人は見られるのも良いとおもう。
ただし映画は、英語字幕のフランス語を覚悟して、語学の勉強にもなる・・・。
で、この映画を思い出すと、すぐに関連で思い出す曲がある。
http://jp.youtube.com/watch?v=nH6wOysvkQU&feature=related
「花と小父さん」 伊東きよ子
浜口蔵之助の曲なのだが、花という可憐な少女を連想させるものと小父さんの心の交流
を、淡々と歌った唄と、あの池の周りを淡々と戯れる無垢な交流が重なり、理解しない
あるいは理解出来ない人にとっては、人の痛みとか苦しさとかは一生理解出来ないかも
知れないなぁ・・・、といった感想が漏れる。
もっともキリスト的には、「シベール」という名前が・・・、には理解出来ないけれど・・・。
シベールの日曜日/Sundays&Cybele/CD95-36
- ¥1,680 といったところで、またのお越しを・・・。