女の自立とセクハラ「スタンドアップ」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

セクシャルハラスメントの訴訟第一号となった女性の物語を映画にしたものが

この邦題「スタンドアップ」である。

原題は「ノース・カントリー」というボブ・ディランの歌をもじったようなもので、

確かに「ガール・フロム・ノース・カントリー」てな曲があった。




スタンド



http://jp.youtube.com/watch?v=jXkVQm0QPyY&feature=related

「スタンドアップ」  〇五年公開作


「ブラス」と同じ炭鉱町が舞台の映画は、あちらの心優しい鉱夫はおらず、

荒くれ野郎どもの巣窟と化したとでもいいたげな、フェノミストらしい極端な

描き方に、何とも思想的に偏りがあると、ステレオになってしまってやはり

アメリカの荒廃は行き着くところまで行ってしまった、なんてのもちらっと

感じる。

それは炭鉱夫という危険もあり、それだけに報酬も良い職業に無謀にも

挑戦した女性のというくだりもあるのだが、同じような立場の映画で、やはり

スピルバーグの「オールウェーズ」の女性は、一人でも毅然として凛々しい

その上、男どもも荒くれていても、とても紳士的というなにやら、捉え方が違

って、この映画での凄まじいセクハラに、こんなに酷いとは・・・、しかし本当

なのだろうか、他の映画のある程度の「レディ・ファースト」は見せかけ?的な

疑問もでてくる。

まぁ、お話しが「セクハセ訴訟」の第一号なのだから、アメリカの荒くれは了見

が狭く、女を邪魔者扱い・・・、同じ炭鉱夫でもイギリスとは違うのか、というか

こちらの映画には、救いがない。

男は粗暴で理解力が足らず、女は生活に懸命で収入の点での選択が炭鉱夫

であり、と何ともな・・・。

で、興味を引かれるのは映画では、この女性とても炭鉱夫的な体格もしていな

いし、あまりも美しいのだが、実際はどうだったのだろう?の点だ。

良くフェミズムで出てくる男女の性差のないという言葉に、とても違和感があり

何もそんなことで、目くじら立てていると脳軟化症にでもなりますよといいたくなる。

それぞれの立場で、それぞれが理解し合えるってのが、理想的男女のあり方で

何も何でもかんでも対抗意識では、あいた口が房からないし、この映画でもそうだ

が、より女性の立場を強調しすぎて、欠落している情緒に想いが及んでいないよう

映ってしまう。

セクハラは酷いが、対立構図しか描けない発想も、これまた救い難い・・・。

まぁ、映画はいいとして、これを教育でされたら情緒も宇宙の彼方へ押しやれ、

私生児的生き方、「コインロッカー・ベイビー」的愛情欠落では、醸成する心は育た

ないと思うが・・・。

いつも思うが、どこまでの被害者という描き方には、違和感がある。


http://jp.youtube.com/watch?v=3Qhwemir1Ag

「ガール・フロム・ノースカントリー」 ボブ・ディラン

ついでに原題は、これからとったのではないだろうか・・・。

スタンドアップ 特別版/シャーリーズ・セロン

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Amazon.co.jp                といったところで、またのお越しを・・・。