虚無感だけで突っ走る七十年代「バニシング・ポイント」 | 流浪の民の囁き

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七十一年に公開された「バニシング・ポイント」は、無軌道な若者の虚無感が引き起こす

体制との軋轢を、道路交通法無視に表して、法順守を強いる者とそれを拒否する者との

対立軸として、この当時の若者達の虚無感を画面に活写していた。



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http://www.youtube.com/watch?v=Q71M88B12WA

「バニシング・ポイント」 七十一年公開作

http://www.youtube.com/watch?v=n5ADU7svwbY&feature=related

この映画の主人公をやたらめったら際立たせたのは、このディスク・ジョッキーの

存在なくして成り立たない。

盲目の黒人、リズム感の優れた喋りには、ラジオの存在がドライバーとのコミニケ

ーションを取り持つ、重要なアイテムなのを再認識させる。

で、以前書いたものがあったので、またまたま転載する。

消滅点・・・。

「バニシング・ポイント」を日本語にすれば表題のこんな感じか
この映画は出だしから暗示させる場面から始まる。
もっとも最初、それがなんだか理解出来ないが徐々に、あのブル
トーザーの意味が飲み込める。
あらすじはただ車に乗った青年が、道を掻っ攫うように疾走する。
その中に詰め込めるだけ出来事を挿入し、規制を無視するために
起こる軋轢で体制がアウトローを支配下に従えるため、強引にそ
の動きを止めさせる、と言う感じだ。
バックに流れる曲もセンス良く配され、ディスク・ジョッキーと
のやりとりでスピード感豊かに、どんどんクライマックスへと導
いていく。
そういえば「イージーライダー」で書いたがデラニー&ボニーは
こっちだった。ごっちゃになっているなぁ、年ってことで・・。
見ている者は、このコワルスキーの心情へ傾き、いつしかディス
ク・ジョッキーやアウトローな人々と同じように、応援する側に
回わっている。そこがこの映画の魅力だ。
そして車がブルトーザーの大鉄板に突っ込んでいくと、バックに
流れる音楽とともに、やり切れぬ喪失感を味わう。
「イージ・ライダー」のラスト・シーンなどよりよっぽどインパ
クトがあり、虚脱感から席を立てなくなったのを覚えている。
コワルスキーの寡黙な演技もいいが、盲目のディスク・ジョッキ
ーのソウルフルな言動は、なんとも魅力的だった。
さりげなくコワルスキーの生い立ちから、社会批判を取り入れ病
んでしまったアメリカを、あの当時描くのがやはり流行だったのか。
それの火を点けたのは「イージー・ライダー」だったんだろうな。
しかし劇構成は、やっぱりこっちだ。
それにしても・・。言葉がないなぁ、・・・いい映画だった。

マウンテンの「ミシシッピィ・クィーン」はレズリー・ウェストの
声と共に聴き応えがある、そしてビッグ・ママ・ソーントンだよな
あのジャニスで有名な「BALL&CHAIN」の作者、更にラ
スト、キム&ディプの「NOBODY KNOWS」と映画の主題
に合致した曲をちりばめられている。
このキムについては、どっかで聞いた名前なんだが思い出せない。
「イージー・ライダー」を名作というには、ちよっと抵抗があるが
「バニシング・ポイント」については、名作といえるのではないか

と、一年前に書いたものを再び読んでみると、なんともな感想を書いているなぁ

と思うが、この映画はフラッシュ・バック多用の時間設定が、たった二分経過なのに

十何年とかの経過を見ているものに、このコワルスキーの心情を周りから固め、なぜ

そうまでして突っ走るのかを理解させてくれる。

そしてあのブルトーザーに飛び込むコワルスキーのニヒルな笑いが、当時の手っ取り

早い解決法としての自殺へ繋がる・・・。

ここらに、以前のアメリカとは違う価値観が現れ、以後自己犠牲を美談にする映画が増

えて行く、そして「イージー・ライダー」との比較で、あちらは曖昧なまま生きるのを、他者

から阻害されて終わるという体制批判を静かに訴えるが、こちらは「死ぬ時は前のめりで

死んでいく」の坂本竜馬ばりの、自分から飛び込んでいく・・・。

生死の考え方も、ちょっぴり考えさせられる。

病院で死ぬか、自ら命を絶つか・・・、その心意気は・・・、解答はないものだ・・・。

バリー・ニューマン/バニシング・ポイント
¥995

                              といったところで、またのお越しを・・・。