戦い末期、老兵哀れ「レマゲン鉄橋」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

戦争がはじまり、そして軍事力の優劣がつき始めて敗戦濃厚となった国において、

祖国の存亡に危機をもつのは戦争の是非でなく、国思う国民の偽ざる心情では

ないだろうか。

戦後においてはそれが一転して、敗戦の責任を一部の指導者へ覆い被せ自らを犠

牲者といって憚らない人がいるが、良く左翼思想に被れていると「転向」という言葉を

使って同志だったものを唾棄しているのを、そう遠くない昔、七十年の学生運動時に

散見したが、この「レマゲン鉄橋」という映画は、派手なアクションより敗戦間近のドイ

ツにあって、皆が「負ける」を自覚し始めているのに、それでもライン河の鉄橋を爆破し

て一日でもドイツ帝国が永らえる道に踏み出した少人数、それも敗戦に継ぐ敗戦で供

給されるべき若い新兵もおらず、老兵達と現場を任された指揮官の苦悩を丁寧に描い

た異色の戦争映画である。



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http://www.youtube.com/watch?v=iD8AxfE7ICA&feature=related

「レマゲン鉄橋」 七十年年公開作

主演はロバート・ボーン、それにジョージ・シーガルが絡み、敗戦濃厚の

ドイツ軍と鉄橋破壊工作を阻止しようとするアメリカ軍の特殊部隊との攻防・・・。

で、この映画が異色というのは、どちらも中間管理職といっていい人々の優柔不断さと

戦争の残虐さは戦勝・敗戦に関係なく、どちらにも瑕疵がある。

それらを均等に描き、ちょっとしたエピソードを織り込むことによって、男達の悲哀が語

られるものである。

正面きって反戦映画とせず、といってアクションに偏りもせず、とバランスを取ったので

あるが、そこはオープニングのテンポ良く凄まじい展開に観客は、一気に映画に引き込

まれるから、後半の男達の悲哀には「暗い」という印象がより強くなってしまっている。

そして何より赤十字のマークをつけた列車を戦車から撃ってしまう、あるいは追い詰めら

れ橋を渡って退却するドイツ軍に住民が混じろうとも機銃掃射を浴びせるアメリカの戦闘機

とドイツの少年が銃を持ち打ち返すと、オープニングだけ見ればこれがアメリカ映画かと、

これまでのパターンを打ち破っている・・・。

この映画、実際はアメリカ兵が主役なのだが、このジョージ・シーガルがどうにもぱっとしない

キャラクターで、軍曹役の方があくが強く印象に残ってしまうし、ドイツの将校役のボーンのこ

れまで「ナポレオン・ソロ」の軽い男とのギャップが新鮮であり、中間管理職の苦悩とやりきれな

さを渋く演じていて、言葉に出さない仕草でも、「上が馬鹿だから、現場は混乱し犠牲が・・・」の

悲哀を良く表していた。

だからこの映画は、戦争映画なのにどこか異色な香りが漂ってくる。

これが作られた年代もやはり「ベトナム戦争」の泥沼化という同時の世相も反映されているもの

なのだろう。

絶対の正義は「戦争」という行為には有り得ないし、被害者・加害者という割り切りは無理である。

にしても、題材が「橋」というものは印象深くなるものが多いし、どうしたものか音楽も印象に残る

ものが多い。この映画もエルマ・バーンスタインだが、良く映像にマッチしていた。

そうそうこの曲、テレビで何気なく聞こえてきた時は、番組を作るスタッフもやはりバックに使いた

くなるものなんだと、微笑ましくなる。もっとも番組は「お馬鹿」なタレントの過酷なものであるが・・・。

レマゲン鉄橋/ジョージ・シーガル
¥1,270
Amazon.co.jp                     といったところで、またのお越しを・・・。