ギャンブル映画で頭に浮かぶのは、
ハスラー、テキサスの五人の仲間等
アメリカ映画が思い浮かぶ、なかなか面白い作品もあった。
こなたの日本映画でと、頭をめぐらし浮かんだのが「麻雀放浪記」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=CHZtKrxZ8xg
「麻雀放浪記」 八十四年公開作
このところとんとやらなくなった麻雀だが、
ひところはえらく熱中したし、だいぶ負けもした。
映画化される前から、この本は知っていたし、
公開されるのを楽しみにしていた。
田舎住まいの小生は、仕事の都合上土曜の
オールナイト上映で、これを見た。
自分で描くイメージに配役がぴたり収まっていたのは、
やはり高品格演じる、出目徳だった。
といっても他の配役が悪いわけでなく、
イメージ的に主人公が、かっこよすぎたり
するきらいはあって、そこに少し違和感はあった。
だが、作品としては素晴らしい出来だ。
モノクロの映像が、敗戦直後を良く出していたし、
(まるで知ってるかのようだが、実際は戦後生まれの
小生は全く知らないので、写真その他の知識で書いている)
俳優も設定されたキャラクターを、熱演していた。
話はことギャンプルなのだが、戦後の混乱期の
バイタリティー溢れる様は、立ち直りの生き様に映る。
何よりイカサマを見破られれば、袋叩きだし
必死な形相と相まって、ひしひしと生きる力を(どんな形でも)示している。
何より反骨精神が今だ健在で、その熱気が画面から伝わってくる。
その点で加賀まり子演じるマダムの肝の座りようは、どこまでいっても
日本の大和撫子を隠し持ちつつ、それでいながら敵だったアメリカを食い物に
しているという、流石に女は強い・・・。
この当時の大衆娯楽としての麻雀が、健康的でないとか賭博としての面を強調
して警察が手入れを繰り返して、どんどん片隅に追いやられしまった。
これほど対戦相手の動向を読むという対人的に思慮深いギャンブルもないのだが、
今では人との呼吸も何もない味も素っ気もないパチンコなどというギャンプルが
大衆娯楽となっている。もっともパチンコは店の都合でどうとでもなるとても恣意的
営業形態で、所詮は大概の人は戻りのない遊びになってしまう。要するに損をする。
そのパチンコも露骨に朝鮮を表に出せば、嫌悪感から遠ざかる人は出てきて人口は
減ってきているのは当然なことである。飽きもせず出来るのは、依存症の病人という
人に限られてくる。それからの脱却としてノウハウ本まで出版されている。
これはこれで、ご愁傷様である。
時代の移り変わりは、過ぎてしまえば激しいもので、ギャンブルは淘汰の歴史である
から、再び公営ギャンブルや違ったものが脚光を浴びるやも知れぬ。
その中に、麻雀も再びとなれば、阿佐田哲也も草葉の陰で、微笑むやも・・・。
この阿佐田哲也のペンネームも勿論、麻雀関連のしゃれである。
「いゃあ朝だ、今夜も徹夜だった」は麻雀の常套句であった。
これじゃ、健康にはいいことないか・・・。
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