オリンピックを記録として映像に残す記録映画が、批判の対象になったり
記録か芸術かと論議を呼ぶという出来事が、過去にあった。
きしくもその一つは、日本の「東京オリンピック」そしてもう一つが、ドイツの
「ベルリンオリンピック」である。
http://www.youtube.com/watch?v=iJjI5bE4y6o
「ベルリンオリンピック」 三十六年
この記録映画は、「民族の祭典」「美の祭典」と二本の作品にまとめられて
それまでにない手法や映像技術・技法で、オリンピアでの聖火点火から、
開催国ドイツへ至る、そしてリレーという華々しい風景と、そこに集う選手の
表情を、素晴らしい編集で紡いでいた。
また各スポーツの競技も、スローモーションや筋肉の躍動感とか細部に渡
って魅力を引き出していた。
だけに記録映画という範疇は越えて、アスリートの肉体が芸術品となった。
しかし時の政権は、ヒットラー率いるナチスであり、一党独裁政権であった。
ゆえに映画の評価は高くとも、そこかしこに「国威発揚」の宣伝が顔を出す
ため、折角の作品で監督したレニ・リーフェシュタールは、国策映画という
レッテルを貼られ・・・。
この後のドイツの蛮行が、作品を賤しめる結果と相成ったものである。
それでも、この肉体の躍動感を引き出すその手腕は、映画としての素晴らし
さを伝えている。
http://www.youtube.com/watch?v=RYfjWgMjMkw&feature=related
「東京オリンピック」 六十四年
製作総監督は先日亡くなった市川昆で、上記の「民族の祭典」を良く参考にして
やはり、選手の息遣いや、肉体の変化を映像にまとめていた。
勿論、日本の隅々までの聖火リレーも、美しい映像に残している。
そういう点では「国威発揚」という側面がオリンピックには、つきものではある。
http://www.youtube.com/watch?v=_tv7yZHwa94&feature=related
国立競技場での入場行進
「東京オリンピック」として、動画が投稿されていたが、その中でこの二つをリンクし
てみた。
この二本の映画は、どちらも「オリンピック」の映画として、評価が高いものである。
ベルリンは監督の意志と国の思惑がどうしてもぶつかりあい、折角の映像にナチス
の思惑が散らばり、その点が「玉に瑕」だが、その手法は「東京オリンピック」の映像
へと繋がり、アスリートの躍動感を丁寧に伝えている。
で、もうそこに近づいた「北京」だが、「ジェノサイド・オリンピック」と揶揄されるように、
開催前から何ともな評価がなされている。
そしてベルリン当時のドイツは、やはり一党独裁政権でユダヤに対する迫害を続けて
いたと、北京の中共中国もまた同じく・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=RORU0nH-8kQ&feature=related
「チベット」の悲惨な状況を、うまく伝えた動画。
バックの歌が、何とも映像に合致していて、見るものに訴えてくる。
というチベット弾圧が反発を招いていて、その上ダルフールとナチスと同じく人権蹂躙が
際立って酷い、ここまではナチス・ドイツと良く似た状況だけに、国威発揚として記録映画も
そういった趣旨で、練られていようが、たった一つ違いがある。
それは競技環境である。大気汚染・水汚濁・毒食品等、競技上だけでなく環境安全という
これまで意識しなくてもいいそれらに不安がある・・・。
だからこそ「民族の祭典」のナチスの「ベルリンオリンピック」を超えられるかとなる。
何より競技中、突然アスリートが死んでしまった、ってなことでも起これば、前代未聞どころか
揶揄される「ジェノサイト」に近くなるものである。
もっとも捏造・偏向は得意中の得意と来ているから記録映画は、すばらしい大会だったになる。
何しろ、六十年前の事柄を捏造してしまい、被害者面が得意である。
加害者の癖に、被害者だってんだから、「平和の祭典」が「血祭りの祭典」に早代わりなら、
まさしく「民族の祭典」を一万メートルは超えることだろう・・・。
といったところで、またのお越しを・・・。