切ない心の交流と相反する現代世相・・・ | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

女性にとって「恋をする」のは、何も独身だけでなく妻となっても

「ときめき」を得ていたいという風潮は、何も昔もなかった訳では

ないのだが、現代の「ときめき」には、とても刹那的心情が垣間

見えて、何だかなぁ、と怪訝な面持ちになる。

そんな記事が、「痛いニュース」で取り上げられていた。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1059020.html
これを読むと、「恋愛」という普遍的出来事と「性欲」という、紙一

重の欲望の発露だけで、今ある立場は安全圏に置き醜悪な男社

会の裏側に、女が乗り込んできていると読み取れるのだが・・・。

そういった事柄から、思い出される映画を取り上げた・


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http://www.youtube.com/watch?v=ymakSmPK_kw
「マディソン郡の橋」

放浪のカメラマンと、田舎住まいの中年の主婦の

四日間の「心の交流」がテーマで、芸達者のイースト

ウッドとメリル・ストリーブが、滲み出る「愛情」を丁寧に

画面上に映していた。

「秘密の出来事」は秘密だからこそ、その人にとっては

いつまでも「光り輝く」思い出として、色褪せないものだ。

もっともここでもその人の倫理観が良く現れ、結局は田

舎の暮らしに埋没する生活を選ばさせるのだが、一方の

カメラマンにすれば、田舎暮らしへの憧れもあり、何もこの

対象だけへの恋慕で、暴走したわけでもない。

ここらが共に生活するならば、幻想だったでもしかすると

「酒とバラの日々」となる可能性は残っていた・・・。



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http://www.youtube.com/watch?v=txZVfQ19TUc

こちら公開も四十年は遡る「旅情」

キャサリン・ヘップバーンの独身中年女の旅先での

出会いと別れである。

旅先はイタリア・ベニス、アメリカからやって来た女の

異国の地での「ときめき」には、相手に妻子がありとなり

身を引くように帰っていく。

とこちらも不倫の物語であるが、幼い子供を見て自分が

身を引くべきだと悟るという古典的道徳心を旨く映像に

埋め込んでいる。

「戦場に架ける橋」を監督したデビット・リーンの得意とした

悲恋物語は、大概理知的な女性像が巧く描かれる。

リーン自体も、この映画のヒットが後の大作へと繋がる映画

だっただけに、音楽も当時としては斬新であった。

もっとも主人公の女性の、ラスト・シーンの演技は、大概の

人だったら、今でも涙を誘われる秀逸の出来である。

「失うことの哀しさ」を良く演じている。


と、二本の映画を並べてみたが、安全な「遊び」とはかけ離れ

た紙一重のやり取りが、映画には描かれている。

これと「痛いニュース」の事柄を比較すれば、現代の出来事は

「有閑マダムのよろめき」的、ピンク映画が似合ってしまうもので、

精神的に「ソドムとゴモラ」が思い出されるのだが・・・。


        といったところで、またのお越しを・・・。