最初から高度なお笑いが展開されると、後に続くお笑いはそれを超えなければ
の思いがあり、さんざんに研究をし手法を取り入れ、そのレベルへと到達させよ
うとするのだが、何には自滅する作品も出てきてしまう。
目標とされるコメディはやはり、チャツプリンだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=EaPlRJ9EySI
「ライムライト」五十二年公開作
バスター・キートンとの初めての共演作。
落ちぶれた道化師の悲哀に、笑いながらほろりとさせられる。
初老の男という、人生の曲がり角を自分でも意識した役柄に
喩えて浮き沈みの世の中を、さらりと描く。
http://www.youtube.com/watch?v=Q68ieR7p-p0
「街の灯」オープニング こちらは無声映画の傑作
この三十一年制作のライトが二十年後のライトへと伝わるのだ
から、明確な意思がそこにある。
にしても盲目の花売りと浮浪者の出会いからして、ほんのりと優
しさが滲む。また無声映画の体全体を使った表現力で、少し遅れる
科白をカバーするのは、並みの演技では出来ないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=zskO9O3hF78&mode=related&search
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ボクシング・シーン このシーンなんて、それこそ笑いが渦巻くし、楽しくなる
あの今批判を浴びているタイトルマッチの醜悪さに比べれば、笑いをとる分
だけでも、こちらの方が・・・。とコメディとスポーツを混同してはいけない。
にしても、あのボクシングはかの国の性格がずばり現れていて、そのことに
納得してしまう。日本人に嫌われる訳だ。
精神性が卑屈で、被害者意識の塊、そのくせ勝てばいかにも自分の実力が
あったように吹聴する。これでは嫌われて当然である。と横道に逸れた。
http://www.youtube.com/watch?v=kpeiPbjDlDs
ラスト・シーン 窃盗してでも金を作り自身は囚われの身になってしまうが
娘の手術代を工面し、釈放後娘の元に現れると、目の見える娘は浮浪者
を哀れみ、花と小銭を差し出す。
で、その手を握って、足長おじさんを知るってところが、何ともいい終わり方
である。目が見えないから肌の感触のみの記憶でも、恩人を忘れない。
貧しくとも心豊か時代の映画である。
それに比べても、あのボクシング(しつこい・・)関係者達は、流石に感謝知ら
ずのかの国の精神性を、おおっぴらに披露している。
感謝を知り、また反省を知れば、まずもって犯した罪の謝罪は対戦相手に
行い、また周囲のこの場合、放送局の偏向した態度からも謝罪があってし
かるべきである。犯した選手も、また偏った放送をしているのも、根は一緒
である。と、チャップリンの「貧しくとも心優しい人」の映画とは雲泥の差があ
る人々を批判したくて、これのエントリーを書いてみた。
といったところで、またのお越しを・・・。