野生のガチョウも使い捨てでは怒り出す「ワイルド・ギース」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

フランス外人部隊で有名になった傭兵だがそれより昔、アイルランドの人々は

貧しさも手伝ってこの傭兵として王族に仕えていた。

この傭兵部隊は「野生のガチョウ」と呼ばれた。

この七十八年公開のイギリス映画「ワイルド・ギース」は、その傭兵達の物語である。


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http://www.youtube.com/watch?v=vVR3nxjbfTs

この映画が単なる戦争物とも傭兵と言う「殺戮マシン」みたいな

物とも違う味を出しているのが、ストーリー中に織り込まれた普通の

生活で、何のための戦いか傭兵としての戦いとはの「戦争の犬たち」

とは、少々違ってヒューマンなドラマに仕上がっている。

特に脱出に逃げ遅れ飛行機を追いかける兵士と、懸命に引っぱり上

げようとする兵士達の姿には、また途中で諦め、飛行機を無事に離陸

させ得るため「自己犠牲」を厭わない心情の描写は、涙が出てくるいい

シーンだった。

血も涙もない傭兵と言う「殺戮」マシンてなく、言われた指示を全うする

ための犠牲もある程度、覚悟の上作戦に参加する心意気・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=R8Vjp4DX2l4

こちらは同じ原作からの映画で二年早く公開されているのだが、

こちらはさっぱり評価されることがなかった。

主演はあの「ドラキャラ伯爵」が有名なクリフトファ・リーである。


で、この「ワイルド・ギース」が好まれる理由、それは傭兵とはいえ規律も

ありまた職務に忠実でありながら、人間性を失っていない姿。

まして上の判断、この場合は完全な裏切り行為なのだが、それによって

仲間を失い、その弔いと復讐のため、依頼主を殺害する。

徹底的にヒューマンな傭兵の姿として描いている。

一瞬の判断ミスが生死を分け、緊迫した状況の中、家族を思い仲間を気

遣いと、アイルランドの中世の傭兵を現代的に甦らせている。

まぁ、ただここでのストーリーで、独裁国家の民主化促進に加勢し、独裁

者を殺害する計画の設定が、最近、軍事政権で起こった民主化デモの

突然の高まりと、軍部の武力制圧、それを克明に記したニュース映像を

見るにつけ、何処かで工作している匂いが漂う・・、で、古い映画を思い出

した次第だ。至近距離から日本人が撃たれた。

その現場をしっかりカメラが捕らえていた。

十万人規模のデモである。相当な人の数であり、奇跡的な正確さの映像

ではある。

に、しても最初の発表は「流れ弾」だったはず、それが映像から至近距離

から射殺である。日本のマスコミは「流れ弾」と報じ、一局のスクープ映像

でそのことが誤報であったになったが、その後の「ビルマ」の続報を報道

しなくなった。「ワイルド・ギース」ではないが、民主化という種で鬩ぎ合う

対立が、見えないところで行われ、犠牲になるのはいつも何も知らない

庶民・・・。あの沖縄の集会でも一万人でも多いのに、いつの間にか十一

万人が参加した大会になってしまっている。

ここらはもう「情報操作」がなされていると、見ていないければいつの間に

か世論として定着してしまう。

傭兵と言う知られざる存在でも、ドラマがある。

まして「言論」という卑怯な極まりない武器を持つ人々が「情報操作」して

世論を従わせるとしたら、武力より悪質であり、何より空恐ろしい・・・。

何しろ「お仲間」のジャーナリストが殺害された割には、抗議の声があが

らない日本のマス・メティアは、どこかおかしい・・・。

六十二年前の記述の変更程度と、今ある野蛮な殺戮が同等ではないは

ずだ。公平中立の言論が武力によって歪められている、それに立ち向か

わないジャーナリズムとは、一体何か?。


                   といったところで、またのお越しを・・・。