【映画評】欲望の中の女 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

どうも。「愛の鞭」というハラスメントで人を育てようとする保護者や上司なんて絶滅すればいいのに。幼稚な支配欲求を「愛」で偽装するのは気持ち悪いです。

 

それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『欲望の中の女』です。

 

官能小説の原稿を売り込みに来た女流作家は、拳銃で老編集者を脅し、持参した原稿を読むように命じる…。それは“欲望の宿”という名の小説。あるホテルを訪れた美女が全裸で迷い、さまざまな快楽の扉をあけ、妖しい性愛の世界を目にしていく。メイドの部屋に全裸で迷い込んだ彼女は、メイドと客のSEXを覗き見、あやしげな異邦人に性の調教を受け官能の世界に溺れていく(DVD商品説明文より引用)。1981年製作のイタリア映画で、1988年日本公開作品。監督はジャンフランコ・アンジェルッチで、出演はクリオ・ゴールドスミス、カトリーヌ・スパーク、フェルナンド・レイ、ドナティラ・ダミアーニ、ニエヴェス・ナヴァロ。

 

女流作家(カトリーヌ・スパーク)と老編集者(フェルナンド・レイ)のサスペンス色の強い冒頭から、美女アニー(クリオ・ゴールドスミス)を主人公とするエロティックな方向へと物語は展開します。前者は現実で、後者は虚構の二重構造です。

 

アニーが「欲望の宿」というホテルを彷徨いながら刺激的な体験をして、性の悦びに目覚めていくのは大人向け『不思議の国のアリス』と解することができます。宮崎駿版『不思議の国のアリス』である『千と千尋の神隠し』と比較すれば、アニーが千尋で、ホテルの女主人(ニエヴェス・ナヴァロ)が湯婆婆の役割です。アニーは「ア」に改名されませんけど。

 

アニーが成長する話なので、クリオは未成熟な少女の雰囲気を出しています。それに対し、やり手の女主人を演じるニエヴェスは成熟した四十路熟女の色気を出しています。そのためフルヌードになるクリオより、胸の谷間を見せるだけのニエヴェスの方をエロく感じます。

 

結局アニーの過激な体験は、うたた寝している時に見た一時の妄想という谷崎潤一郎の『白日夢』のようなオチです。またアニーは官能小説の登場人物であり、現実→女流作家の想像→アニーの妄想という構造は、クリストファー・ノーランの『インセプション』における「夢の入れ子構造」に近いです。意外に凝った脚本です。

 

本作の邦題は『欲望の中の女』ですが、描かれているのは女流作家の欲望とアニーの欲望という「女の中の欲望」です。そして、その欲望を女流作家が主体的にコントロールするのが欧米的なのです(日本では男の欲望に対して受動的な女性像が好まれがちですからね)。

 

★★☆☆☆(2024年3月12日(火)インターネット配信動画で鑑賞)

 

 

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