どうも。能登半島地震の惨状に対して無力である自分の弱さを認めたくないあまり、災害ボランティアを屁理屈で叩いたり、現実の被災者に「あるべき被災者」像を押し付けたりして、上から目線で強者ぶる人間のクズにはなりたくないものです。
それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『大曾根家の朝』です。
戦争が始まり、自由主義を尊ぶ由緒正しき家柄の大曾根家もまた、厳しい時代の波に翻弄されていく。長男は特高に捕まり、次男と三男は出征。代わって軍人の叔父夫婦が我が物顔で家に出入りするようになる。やがて戦争が終わり、三男の戦死を知った母の悲しみと怒りは……(木下恵介生誕100年プロジェクトより引用)。1946年公開作品。監督は木下恵介で、出演は杉村春子、長尾敏之助、徳大寺伸、三浦光子、大坂志郎、小沢栄太郎、賀原夏子、増田順二、東野英治郎。
木下恵介監督の戦後第1作です。大曾根家を日本の縮図として、主に屋敷の中だけで物語を進行させる舞台劇のテイストで演出しています(屋敷の中だけで撮影したのは、戦後間もない時期で製作費の制約があったからでもあるでしょう)。
主人公は母の房子(杉村春子)です。『この世界の片隅に』と同じく、銃後にいる女性から見た戦争が描かれています。それは犠牲を強いられながらも耐え抜こうとする母の苦悩であり、軍部の検閲がある戦中では描けなかったものです。それを堂々と描くことができた木下監督の喜びが伝わってきます。
出演者に新劇系俳優が多く、彼らは戦中に演じられなかった役柄を楽しそうに演じています。叔父の一誠役を演じている小沢栄太郎は、小心者のくせに軍部の権威を借りて威張り散らす卑怯な軍人を乗り気で演じています。おそらく戦中に実物を見てきたから、生々しい演技なのでしょう。
木下監督らスタッフ、出演者共々が戦中に抑圧されていたものを発散しており、それが映画の勢いになっています。その勢いで解放感に満ちたラストへと突っ走っていきます。
本作で描かれているのは遠い昔の話でも、全くの他人事でもありません。政府が不景気なのに防衛増税を企て、日本学術会議への介入で学者を抑圧し、インボイス制度でフリーランスの芸術家を潰して、政府の権威を借りたネトウヨがSNSで威張り散らす現代日本社会は、戦中の大日本帝国と同じ轍の上にいるのです。
★★★★☆(2023年12月25日(月)インターネット配信動画で鑑賞)
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