どうも。新型コロナウィルス感染が終息していないのにノーマスクで人混みを歩く人は、(政府やマスコミによる)洗脳にハマりやすいことから、旧統一教会や幸福の科学などのカルト信者と変わりありません。
それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『犯された白衣』です。
嵐の夜、看護婦たちは寮の外にいた少年を呼び寄せ、看護婦同士のレズプレイを見せようとする。最初は黙って見ていた少年だったが、突然激高し持っていた銃で看護婦を射殺した。少年は看護婦たちを次々に陵辱・惨殺していくのだった…(Yahoo!映画より引用)。1967年公開のピンク映画。監督は若松孝二で、出演は唐十郎、小柳冷子、林美樹、木戸脇菖子、三枝巻子、弥生京子、坂本道子。
若松孝二監督が性と暴力を描きます。ピンク映画でありながら、1971年に第24回カンヌ国際映画祭の監督週間で上映されました。海外の映画祭ではポルノ映画であっても差別することなく、優れた作品であれば高く評価するというスタンスなのでしょう。
主人公の少年役を唐十郎が演じています。当時27歳の唐は少年に見えません。
少年が所持する拳銃は男性器のメタファーであり、男性的な暴力の象徴です。冒頭、浜辺にいる少年が一人で発砲するのは、悶々とした感情の発散である自慰行為を意味します。
寮に引っ張り込まれた少年は看護師たちにからかわれ、嘲笑されます。そしてレズプレイを汚らわしく思い、看護師を射殺すると白衣の天使たちを切り刻んでいきます。この凶行の原動力は、少年が性的未熟の反動として、女性を暴力で支配しようとする女性憎悪(ミソジニー)です。
荒ぶる少年は、たった一人の少女にだけ心を許します。その少女は少年の姿をしっかりと見つめながらも、その内面に踏み込もうとせずに包み込む母性を見せます。少年が少女の母性に安堵するのは、幼稚なマザコン男だからです。
少年が看護師たちを嫌悪しながら、少女から安らぎを得るのは、1976年製作の『タクシードライバー』において、ロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスが大人の女性を逆恨みし、ジョディ・フォスター演じる少女アイリスを売春宿から救おうとする心理に似ています。本作が先取りでしょうか。
少年のようにミソジニーをこじらせ、女性に対する支配欲をむき出しにするのは、自立できない他者依存的な男性です。そのようなダメ男に権力を握らせようものならば、社会的弱者への弾圧や権力誇示のための戦争に至ることを本作のラストは示唆しているのです。
★★★☆☆(2023年4月16日(日)インターネット配信動画で鑑賞)
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