【映画評】胎児が密猟する時 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

どうも。森喜朗の女性蔑視発言に抗議するため、野党の女性議員たちが白いスーツで出席するホワイトアクションを単なるパフォーマンスと揶揄する声(主におっさん)があります。いやいや。北朝鮮拉致被害者奪還のため、与党議員(主におっさん)が襟に付けているブルーリボンバッジこそ何ら実効性が無く、やってる感を演出するだけのパフォーマンスでしょうが。

 

それはさておき、映画の感想文を書きます。今回は『胎児が密猟する時』です。

 

妻に逃げられた男が同じ会社の女を監禁する密室劇。1966年公開のピンク映画。監督は若松孝二で、出演は志摩みはる、山谷初男。

 

若松孝二監督のピンク映画です。一応ヌードがあるのでピンク映画ですが、「実用性」があるほどエロくありません。今だったら、インディーズ映画に分類されるでしょう。

 

アパートの殺風景な室内で、登場人物二人だけの物語が展開するという低予算な作りになっています。却って、それが前衛的な舞台劇を観ているような効果を生んでいます。

 

男役を演じる、若い頃の山谷初男は割とハンサムです。おじさんになってからの山谷しか知らない世代にとっては、意外な姿です。当時の山谷はピンク映画やアングラ演劇で過激な役を演じることが多く、本作では女役の志摩みはるを鞭で叩いたり、剃刀で肌を傷付けたりするサディスト演技を見せています。

 

男は女を監禁し、支配しようとします。人を支配することは他者を認めず、他者も自己の一部とし、意のままにすることです。それは自他の境界に未分化な幼児と同じレベルの思考です。本作における男の中身は幼児=胎児なのです。男が自ら虐げた女に抱きついて「お母さん」と甘えるシーンに、それが表れています。そして、男が支配力を及ぼす密室は子宮のメタファーなのです。

 

この支配と被支配の関係は密室の中だけではありません。女が隙を見て脱出しようとする時、ここから逃げても毎日同じルーティンを繰り返す退屈な日々しかないことが頭に浮かびます。私たちも世界という大きな密室の中で何かに支配されているのかもしれません。

 

★★★☆☆(2021年1月23日(土)DVD鑑賞)

 

 

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