【映画評】カルラの歌 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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グラスゴーのバス運転手ジョージは、ある日無銭乗車しようとした外国人女性カルラを助け、どことなく陰のある彼女に惹かれるようになる。最初のうちは頑なに心を閉ざしていた彼女だったが、彼の優しさに次第に心を動かされ、ついに故郷ニカラグアでのつらい過去を語り始める……(映画.comより引用)。1998年日本公開作品。監督はケン・ローチで、出演はロバート・カーライル、オヤンカ・カベサス、スコット・グレン。

主人公ジョージを演じるのは、ロバート・カーライルです。自分が正しいと思えば、すぐに真っ直ぐな行動に出て、バス運転手をクビになります。それで好きになったカルラ(オヤンカ・カベサス)がニカラグアにいる恋人アントニオに会いたいと願えば、連れて行って引き合わせます。ジョージはイギリス版寅さんのようなキャラクターです(寅さんは日本各地を放浪しても、国外の紛争地域までほっつき歩きませんけど)。

カルラを苦しめる悪夢は、本作の時代設定である1987年にニカラグアで続いていた。コントラ戦争という内戦が原因です。米国寄りの独裁政権を武力で打倒したサンディニスタ革命政権と、米国が組織した反革命傭兵軍コントラが10年間も戦った内戦です。旧ソ連がサンディニスタ革命政権を支援したので、ベトナム戦争と同じく、米ソ冷戦下の代理戦争という図式になっています。米国はベトナム戦争の敗北に懲りてはいなかったのです。

コントラにはニカラグア人もいるので、同じ国に生まれ育ったニカラグア人が、大国の思惑の下で殺し合うという地獄絵図です。それ故、CIA職員としてコントラの組織化に関わったブラッドリー(スコット・グレン)は、責任を感じて辞職し、ニカラグアの惨状を救うため、人権保護団体に入ったのです。

ジョージと出会った時のカルラは、自らの過去について語ろうとしません。それは語りたくないし、語るために過去を思い出したくもないからです。しかし、コントラによって舌を切り取られ、顔に酸をかけられる酷い仕打ちを受けたアントニオからの手紙によって過去を思い出し、苦しむことになります。

本作は、コントラ戦争が終結してから10年後に現地のニカラグアで撮影しています。その経済的に豊かでない様子は、内戦の傷跡の深さを物語っています。20世紀の米国は、中南米に自国寄りの傀儡政権を打破しようとする左派革命政権が現れると、軍事的介入をしてきました。それにより中南米の各国で内戦が生じ、政情不安定となり、経済的発展が遅れてきました。これは米国の覇権主義が原因です。

ところで、戦後の日本が高度経済成長したのは日本人が勤勉だからで、中南米の国々が発展しないのは怠惰だからだという意見があります。しかし、戦後の日本には、“宗主国”米国からの経済援助に加え、朝鮮戦争による特需という利点までありました。これらの利点がない中南米の国々に対し、日本が成功者として上から目線で物を言うのは、何か違うような気がします。

話を戻しましょう。コントラを支援した米国のロナルド・レーガン大統領は、保守派の新自由主義(レーガノミクス)者でした。1982年のフォークランド紛争で支持率を上げた英国のマーガレット・サッチャー首相も、保守派の新自由主義(サッチャリズム)者でした。一見すると無関係なイギリスとニカラグアを結ぶ本作は、双方の国民を苦しめる何かに対する批判を含んでいるようです。

社会派の名匠であるケン・ローチ監督が、本国のイギリスを飛び出して、異国のニカラグアで撮ったのが本作です。その挑戦的な姿勢は評価しますが、やはりローチ監督はイギリス国内を舞台にした作品の方が実力を発揮できると感じたのは確かです。地元関西を舞台にした『ガキ帝国』や『岸和田少年愚連隊』だと、本領発揮できる井筒和幸監督みたいなものです。

★★★☆☆(2019年3月23日(土)DVDで鑑賞)

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