大衆の願望が反映された誤訳 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

訂正して、おわびします

 
▼25日付スポーツ面「日清広告、『関心無い』」の記事で、大坂なおみ選手の発言内容が「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない。この件についてはあまり関心が無いし、悪く言いたくない」とあるのは、「騒ぐ人たちのことも理解はできる。この件についてはあまり気にしてこなかった。答えるのはきちんと調べてからにしたい」の誤りでした。大坂選手の英語での会見内容を、誤って訳しました。
 
 
【ここから私の意見】
 
朝日新聞の訂正お詫び記事です。大坂なおみの発言内容を誤訳してしまったということです。
 
誤訳した内容では、「なおみちゃん、寛容で優しい!」「なおみちゃん、人間の器が大きい!」「こんなことで騒ぐ人権派は迷惑バカ!」などという感想や反応が出てきます。しかし、正しい内容では、大坂は人種差別表現になりかねない日清広告について不勉強であったことを自省し、きちんと勉強してから回答したいという慎重かつ謙虚な態度であるという印象です。これはこれで好感を持てる態度ですが、「寛容で優しい」や「人間の器が大きい」という形容とはズレが生じています。決して大らかに許しているわけではありませんから。ましてや騒ぐ人たちのことを理解している大坂と、騒ぐ人権派を迷惑バカと非難する反応は、まるで正反対の方向を向いています(まあ、大坂の威を借りて人権派叩き欲求を満たしたいだけのバカでしょうな)。
 
誤訳したのが朝日新聞なので、「“反日”朝日がまたやった!」と非難したいネトウヨが小蝿の如く湧いているでしょう。しかし、この誤訳を引用して報道した他の新聞やテレビは、自社記事を訂正しているでしょうか。また、この誤訳に基づく感想や反応をブログやSNSに書いた人たちは、それを訂正しているでしょうか。それに比べたら、誤りを認めて訂正お詫び記事を載せた朝日新聞は潔いと言えます(勿論初めから誤訳が無いのが良く、そこは厳しく非難されて当然です)。
 
それでも朝日新聞には、本件が誤訳が単純なミスなのか、それとも意図的な歪曲なのかという問題が残ります。朝日新聞だけでなく、日本の新聞には読者=大衆の欲求に応える記事を書くというポピュリズム的傾向があります。読者を増やして発行部数を伸ばしたいという経営上の動機であり、大衆心理の変化に応じて、右にも左にも舵を切ります。朝日新聞は、かつて時代の趨勢に合わせて左に舵を切っていましたが、ある時期から時代の流れが変わり、昔の記事だけでなく、今の記事もネトウヨに「反日」や「偏向」のレッテルを貼られ続けています。
 
そうしたポピュリズム的傾向からすれば、朝日新聞による誤訳は、大衆が求める大坂なおみ像に合わせた意図的な歪曲である可能性があります。そして、その大坂なおみ像は寛容で優しく、人間の器が大きく、人種差別で騒がない人間ということになります。
 
それでは、日本の大衆が求める大坂なおみ像は実像と一致しているでしょうか。父親が黒人である大坂は、日本にいてもアメリカにいても差別と無縁であったとは言い難い人生を歩んできたはずです。それによる苦悩や葛藤は大坂本人しか知らず、それに対して「寛容で優しくあれ」「器の大きな人間であれ」「人種差別で騒ぐなかれ」などと他人が押し付けるのは迷惑なだけではないでしょうか。
 
差別や抑圧が問題になると、差別や抑圧を受けている側に寛容さを求め、寛容さを示せば称賛することで解決を図ろうとすることがあります。しかし、それは差別や抑圧を受けている側に負担をかけ、差別や抑圧を加えている側を免罪するという社会的不公正を生じさせます。
 
夫婦関係に置き換えれば、夫から家事や育児の一切を押し付けられても、文句も言わずに夫に尽くすのが妻のあるべき姿であるという価値観になります。バランス良く家事分担すれば効率が良いにもかかわらず、男尊女卑思想に基づき、妻にだけ負担をかけ、夫の甘えを許すのは不公正です。その価値観が非婚化や少子化の原因になれば、社会的に大きなマイナスにもなります。
 
誤訳された大坂の発言に乗ってしまったのであれば、本件は己の中にいる「大衆」が間違った価値観を持っていないか内省する良い機会かもしれません。
 
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