【映画評】破戒 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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被差別部落出身の小学校教師の瀬川丑松は、亡き父の命に従い、身分を隠して生きていた。丑松が部落民なのではないかと噂が立ったとき、同僚の土屋は丑松をかばってくれた。同じ部落民である猪子の突然の訪問に戸惑う丑松は、思わず自分は部落出身者ではないと言って猪子を追い返してしまう。猪子は暴漢に襲われ死亡、丑松は教え子に「私は部落民です」と告白し、土下座をして謝り続けるのだった(Yahoo!映画より引用)。1962年公開作品。監督は市川崑で、出演は市川雷蔵、長門裕之、船越英二、藤村志保、三国連太郎、中村鴈治郎、岸田今日子、宮口精二、杉村春子、加藤嘉、浜村純。
 
島崎藤村の小説が原作で、部落差別という軽く扱えないテーマなので、出演者が実力者揃いになっています(藤村志保は本作でデビューしましたが)。古来芸能に携わる者が「河原乞食」などと賤民扱いされてきた歴史からすれば、役者稼業にとって無関心ではいられないテーマでもあります。
 
本作の前にモダンな作風の『黒い十人の女』を作った市川崑監督なので、本作を過度にベタついて重苦しいドラマにしていません。屠殺シーンはスピーディーなカット編集で処理する、遊び心もあります。また、宮川一夫カメラマンによる信州の白い雪景色と出演者の黒い影のコントラストは、その美しさで観る者を画面に集中させます。
 
社会問題をテーマにした映画には、作り手が正義を主張する啓蒙的な自分に酔ってしまったのか、映画としての面白さを見失っているものが、ありがちです。本作の場合、市川監督がノンポリ型なので、そういった「罠」に陥らず、映画としての面白さを追求し忘れなかったことにより、結果的にテーマの訴求力が強まっています。
 
明治時代の物語であり、都市化が進んでいない村社会なので、部落差別が根強く、そのことが丑松(市川雷蔵)をより苦悩させます。その苦悩する丑松の純粋さを引き立てるかのように、校長(宮口精二)や町長の俗物ぶりが描かれます。丑松の同僚である土屋(長門裕之)は両者の狭間にいる存在で、丑松が部落民であることを告白した後、丑松の側に寄り添っていきます。
 
丑松が住む町を訪れた猪子(三国連太郎)は、地元の政治家同士の争いに巻き込まれ、暴漢に襲われて死にます。これは、部落民という階級が政治に利用されることを表しています。本作で部落民を差別するのは、ほとんどが政治と関わりがある人間で、しかも男です。没落士族でアル中の風間(船越英二)や、住職(中村鴈治郎)など政治から離れている男には、部落民に対する差別感情がありません。そこから政治=男社会が部落差別を生み出しているという読み方もできます。
 
それと対照的に、猪子の妻(岸田今日子)や志保(藤村志保)は、好きになった相手が部落民でも差別感情を抱かず、周囲の反対を押し切って愛を貫き通そうとする芯の強さを見せます。以上のように、男社会の愚劣さを批判し、女に人間としての理想像を見出すのは、市川監督の妻であり、クールな女性的視点を持つ和田夏十の脚色によるところが大きいと思われるのです。
 
★★★★☆(2019年1月19日(土)DVD鑑賞)
 
映画が社会問題について深く考えるきっかけになればいいですね。楽天市場

 

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