明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
第三十課 前課の續
或る夏の夜門人を聚め、障子を開き涼を納れながら、源氏物語を講せしに、偶々風吹き來りて燈火を滅したれば、人々暫く講を輟めんことを請ふ。保己一何故ぞと問ふに、衆風來りて燈火を滅したり、因て之を點せんとすと答ふ。保己一笑ひて、目ある人は、さても不自由なるものかなといへりとぞ。保己一壮年より校訂編纂せし所の書、幾百千部なるを知らず、就中群書類從は、其本編のみにても、一千二百七十三部に上り、或は合せ或は分ちて、之を六百三十五冊とす、我が國古來書典の大部にして、世に傳はる者此書の右に出づるはなし、其學事に功あるは、大なりと謂ふべし。

【私なりの現代語訳】
ある夏の夜に門人を集め、障子を開いて涼を取りながら、源氏物語を講義していると、たまたま風が吹いて来て灯りを消したので、門人たちはしばらく講義を中断するよう頼みました。(塙)保己一が「何故か」と問えば、門人たちは「風が吹いて来て灯りを消したので、点火したいのです」と答えました。保己一は笑って「目の見える人は、まあ不自由なものだな」と言いました。保己一が壮年期に校訂し編纂した書物は、何千何百部になるか分からず、特に群書類従は、基本編だけでも、1,273部に上り、合冊したり分冊したりして、635冊とし、我が国の古典の大部分にして、世に伝わるもので右に出るものはなく、その学問的功績は、大きいと言えます。
【私の一言】
塙保己一という偉人について紹介した文の後編です。学問に秀でた塙ですが、楽器の演奏は性に合わなかったそうです。その点では、ベース漫談の“はなわ”が勝っています。
ここで『普通讀本四編上』は終了です。来年から、明治二十六年発行の『新撰小學讀本巻五』を始めます。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
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