明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
第二十二課 前課の續
凡そ其収穫の前、秋風畦を渡るに方ては、稲穂皆靡て、滿田宛も黄波を漲らす。既にして熟すれば、鎌にて刈り収む、之を稲刈と云ふ。此刈りたる稲を更に乾して、穂をこき落し、碓にて挽き、粃と殻とを去り、米を俵に入れて貯ふ。而して之を炊ぎ食ふには、尚ほ復た春にて搗き、白米となすなり。見よ、農夫の春種を蒔きてより、秋實を収むるに至るまで、水を漑ぎ、草を耘り、肥料を散布する等、其手數を經ること幾許なるを知らず。汝等食するごとに、粒々皆辛苦なることを思ひ、決して之を軽視すべからず。


【私なりの現代語訳】
おおよそ収穫の前、秋風が畦(あぜ)を渡るところでは、稲穂がすべてなびいて、田んぼいっぱいがまるで黄色い波で満ちているようです。既に成熟していれば、鎌で刈り取り、これを稲刈りと言います。この刈った稲を更に乾燥させ、穂の部分をこき落とし、臼で挽き、くず米と籾殻を除去し、米を俵に入れて貯蔵します。そしてこれを炊いて食べるには、それでもまた春に杵でつき、白米にするのです。見なさい、農夫が春に種を蒔いてから、秋に実を収穫するまで、水を引き入れ、雑草を取り除き、肥料を散布する等、手数を経ることがどれほどあるか分かりません。あなた達は米を食べるごとに、一粒一粒がすべて農夫の苦労であることを思い、決して米を軽視してはいけません。
【私の一言】
米作りの続きです。米は勿論すべての食材、更には身の回りにあるすべての物が生産者や製造者の苦労によって作られたことに鈍感なバカが増えると、この国は滅びるでしょう。
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