第二十課 烏の話。 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
 
   第二十課 烏の話。
 
一羽の烏あり、炎天の日口甚だ渇して、水を得んと欲すれども、近傍に一掬の残潦、一條の細流だに見ず。處々徘徊して後、茅舎の傍に到り、一箇の瓶の在るを見出したり。然れども瓶深く水少なくして、嘴を伸すも善く達すること能わず。烏は如何爲んと案じ煩ひしが、別に工夫もなかりけり。されども未だ決して望を絶つべからずとし、良く久しく思考して、遂に一策を案じ出し、近傍の小石を一箇づつ哺み來て、瓶中に投げ入れぬ。斯の如くすること霎時、未だ數十箇ならざるに、水己に瓶口に充ち上りければ、因て容易に水を飲み得るに至れり。若し此烏初めに絶望して、策を案ずることなさずんば、決して此水を飲み得ざるのみならず、終には渇死したらんも知るべからず。
イメージ 1
 
 
【私なりの現代語訳】
 
一羽のカラスがいて、とても暑い日に口がすごく渇いて、水を飲みたかったけれども、近くに一掬いの水たまりも、一筋の小川も見えませんでした。あちこち徘徊した後、茅葺き小屋の傍に着き、一個の瓶があるのを見つけました。しかしながら瓶は底が深く水が少なくて、口ばしを伸ばしても上手く水面に達することができませんでした。カラスはどうしようと考え悩みましたが、別にアイデアがありませんでした。それでもまだ決して絶望してはいけないとし、よくじっくりと考えて、遂に一つの方法を考え出し、近くの小石を一個ずつくわえて来て、瓶の中に投げ入れました。このようにしてしばらくすると、まだ小石が数十個にならないのに、水が瓶の口に満ち上がってきたので、それによって容易に水を飲むことができる結果になりました。もしこのカラスが初めに絶望して、方法を考えることをしなかったならば、決してこの水を飲むことができなかっただけでなく、最終的には喉が渇いて死んでしまったのかもしれないのです。
 
【私の一言】
 
諦めないことの大事さを教える話です。ついでにカラスは賢い鳥であることも教えています。実際には賢いと感心するより、ずる賢いと憎々しく思うことの方が多いのですが。
 
にほんブログ村に参加しています(よろしければクリックを!)