第二課・第三課 螢の話。 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

明治二十年発行の『普通讀本四編上』を紹介します。なお、読み易くするため、地の文は平仮名に統一し、文字化けを防ぐため、漢字は所々新字体に改めます。
 
   第二課 螢の話。
 
龜松は浴みも終り、晩餐も喫したれば、晝間の苦熱を忘れんと、父に従ひて郊外に出で、清流に沿ひ、板橋を渡りて、漫に歩むに、時方に一天雲なく、夕月の光いとあざやかにして、涼風膚に適し、岸の青柳の徐かに靡くさまなど、其快きこと譬ぶべきなし。螢は茂草を離れ、凝露を拂ひて、其處此處となく亂れ飛べば、龜松は興に乗じ、團扇を擧げ、之を撲ち捕へて、籠の中に収めつヽ、終に數十疋を聚め得しかば、大に喜び、家に歸りて之を弄び、復た他事なく遊び居たり。
 
   第三課 前課の續。
 
此時父は龜松に向て云ふやう、汝は支那の車胤と云ひし人の話を聞けりや。車胤は幼少の時より學問を好めども、家貧しくして油を買ふ銭なかりければ、夏の夜には數多の螢を薄絹の嚢に盛り、其光を採りて書を讀みたり。斯く勉強して怠らざりしかば、遂に博學の人となりて、其名世に聞え、後には吏部尚書といへる、重き官に登りけるとぞ。此故事よりして、學問を勉強せるを、螢を聚むともいふなり。汝は自ら思へ、晝は教師ありて、學校にて充分に學び、夜は油ありて、自由に火を燈すことを得、誠に大なる幸福ならずや。常に車胤の苦學を心に記し、一層忍耐の力を加へ、以て勤學せずはあるべからず。
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【私なりの現代語訳】
 
亀松は風呂に入って、晩御飯も食べたので、昼間の暑さを忘れようと、父と一緒に家の外に出て、清流に沿い、板の橋を渡って、とりとめもなく歩くと、時はまさに空に雲が無く、夕方の月光がとても鮮やかで、涼しい風が肌に丁度良く、川岸の青々した柳の葉がゆっくりなびく様子なんて、その気持ち良さは例えようがありませんでした。蛍は茂みを離れ、じっとすることなく、あっちこっちに乱れ飛んでいたので、亀松は面白がって、団扇を振り上げ、これを叩いて捕まえて、籠の中に入れながら、ついに数十匹を集めるとができたので、大いに喜び、帰宅してこれを弄び、また他に関心を持たずに遊んでいました。
 
この時、父が亀松に向って言うことには、「お前は中国の車胤という人の話を聞いたことがあるか。車胤は幼少時から学問好きであったが、家が貧乏で灯油を買う金が無かったので、夏の夜には、たくさんの蛍を薄い絹の袋に詰め、その光を利用して本を読んだ。このように勉強して怠けなかったので、遂に博学の人となって、有名になり、後には吏部尚書という重い役職にまで出世したという。この故事から、学問を勉強することを、蛍を集めるとも言うようになった。お前は自分の身を思えば、昼は先生がいて、学校で十分に学び、夜は灯油があって、自由に火を灯すことができ、本当にすごく幸福ではないか。いつも車胤の苦学を心に記し、もっと忍耐力を付けて、それで学問に勤しまないといかんぞ」と。
 
【私の一言】
 
「蛍の光」は、NHK紅白歌合戦のフィナーレ曲です。この曲を出演者が合唱する場面で、指揮者が登場します。これまで藤山一郎、宮川泰、平尾昌晃が務め、昨年から都倉俊一になりました。将来的に小室哲哉、つんく♂が務めることになるのかなと思っていたら、小室が引退してしまいました……。
 
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