【映画評】御法度 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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厳しい戒律によって結束を固めてきた新撰組に、ある日妖しい美貌の少年が入隊したことから起こる隊士たちの騒動を描いた時代絵巻(映画.comより引用)。1999年公開作品。監督は大島渚で、出演はビートたけし、松田龍平、武田真治、浅野忠信、トミーズ雅、的場浩司、伊武雅刀、田口トモロヲ、崔洋一、坂上二郎。
 
司馬遼太郎の『新選組血風録』に収められた「前髪の惣三郎」と「三条磧乱刃」を原作に、時代を先取りしたかのようなBL(ボーイズラブ)時代劇です。撮影を栗田豊道、美術を西岡善信、衣装をワダエミ、音楽を坂本龍一が務め、贅沢な作りの時代劇になっています。
 
大島渚監督にとっては遺作となりますが、初めから作品を遺作とするつもりで撮る映画監督はいません。遺作となれば「〇〇監督の集大成」などと評する者がいますけど、それは後付けに過ぎません。大島監督は自分が長年追求してきたテーマを、最高のスタッフとキャストで映画にしたということで、その姿勢は過去の一作一作と変わりないはずです。
 
新撰組内部の衆道を扱った物語なので、女性キャスト(神田うの、吉行和子)は添え物で、男性キャストばかり映ります。しかも、どの男たちも良い面構えをしており、大島は顔面重視でキャスティングしたのではないかと思ってしまいます(ビートたけし、トミーズ雅、坂上二郎、桂ざこばとお笑い系を起用しているのも、小手先の芝居ではない何かを求めたからでしょう)。大島作品は引きの画と寄りの画をはっきり使い分ける傾向があり、演者の顔面重視は寄りの画で活きてきます。
 
本作が同性愛をテーマとするのは、生殖目的から外れた精神的な愛を描くことに純化するためです。これは『戦場のメリークリスマス』も同じであり、『マックス、モン・アムール』は人間とチンパンジーの恋愛ですから、やはり生殖目的の関係ではありません。これらの作品から本作まで、愛についての大島監督の姿勢は一貫しているのです。
 
私個人は、大島監督が映画で追求してきたのは“観念と官能の対立”だと思っています。強権的で抑圧的な国家やモラルという観念的なものと、人間の本能から湧き出すエロスや衝動という官能的なものが対立したり、衝突したりする構造が作品の背景にあるのです。本作では、新撰組の御法度や武士道が前者で、美少年の惣三郎(松田龍平)によって起こる衆道の嵐が後者になります。新撰組副長である土方歳三(ビートたけし)は、新撰組という組織を防衛する立場にありながら、その組織を崩壊しかねない得体の知れぬ衝動が自身にもあるのではないかと疑い、煩悶するのです。
 
ところで、新撰組は幕末日本のテロ集団です(テロは元々「恐怖政治」を意味しますから、幕府=体制側の新撰組もテロ集団です)。本作で描かれた新撰組内部における“観念と官能の対立”と似た構造は、後世のテロ集団にも見ることができます。女性リーダーの嫉妬が内ゲバの一因でもある連合赤軍、三島由紀夫の同性愛的嗜好が根底にある楯の会がそうです。更に、テロ集団に限らず、本来合理的な法律や規則で動くはずの政治や経済にも、コネや情実が絡むことは古今東西あります。このような現実にある組織や体制の“宿痾”を映画で表現したのが、一連の大島作品だと思うのです。
 
★★★★☆(2017年11月3日(金)DVD鑑賞)
 
かつて松竹を“家出”した大島が、最後に監督した本作は松竹の製作・配給です。
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