
日本軍の敗北が濃厚となった第二次世界大戦末期のフィリピン戦線。結核を患った田村一等兵は部隊を追放され、野戦病院へと送られる。しかし、野戦病院では食糧不足を理由に田村の入院を拒絶。再び舞い戻った部隊からも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する(映画.comより引用)。2015年公開作品。監督・主演は塚本晋也で、出演はリリー・フランキー、中村達也、森優作。
大岡昇平の小説が原作で、1959年に市川崑監督で映画化されています。同作はモノクロで、原作と異なり、主人公・田村の人肉食は未遂に終わります。しかし、本作はカラーで、田村(塚本晋也)は人肉を食べ、更に当時の技術上不可能だったグロ描写に力を入れています。
何しろ『プライベート・ライアン』の凄惨な戦場描写を経た現在、ちぎれる手足、飛び散る脳味噌や内臓、腐敗した日本兵の死体にたかる蛆虫までリアルに可視化しなければ、戦争を知らない世代である観客に衝撃を与えられません。私は感覚的に市川監督版より塚本監督版の方がハマります。
東京都渋谷区生まれの塚本監督は、都会の鉄とコンクリートに囲まれて感性を育んできました。その感性から、無機質な物との対比で表れる有機的な人間の生を作品のメインテーマにしている感があります。肉体が金属化する男を描いた『鉄男』、死体解剖により生の実感を回復する男を描いた『ヴィタール』などが顕著な作品です。『HAZE』は塚本監督と同じ都会人の感性を持った男が見た「地獄めぐり」です。
Cocco主演の『KOTOKO』では、主人公・琴子が精神に異常を来す都会を色彩の少ない無機質な映像で、逆に琴子が癒される故郷沖縄の自然を色鮮やかな映像で撮り分ける手法で、琴子の揺れ動く生を描いています。本作でも、主人公が彷徨うジャングルの自然は色彩豊かに撮っています。それと対照的に、戦場シーンは夜間という設定もあって、モノクロ映像並みに色が少なくなっています。それどころか、田村を含めた日本兵たちは、垢や泥で体が真っ黒に汚れていきます。飢餓と疲労で生命力が弱っていく日本兵が無機質なモノ化しているという意味でしょう(先にモノ化した日本兵の死体の肌も黒く変色していますから)。
そのように人間を無機質なモノにする、無慈悲で無感情なものが「戦争」です。本作のラストは、その戦争が田村にトラウマを植え付け、更に世界中で惨劇を繰り返していることを表現しているのです。
★★★★☆(2017年8月21日(月)インターネット配信動画で鑑賞)
1959年公開の市川崑監督版と見比べてみましょう。