桑田佳祐のニューアルバム『がらくた』の感想文は、今回でゴールです。『サライ』でも歌いますか(桑田と加山雄三は茅ケ崎つながり)。

スケベ心が創作モチベーションの桑田は、無国籍サウンドの12曲目『ヨシ子さん』に「エロ本」という歌詞をぶち込んできます。他方で、8曲目『サイテーのワル』では「炎上」や「拡散」という歌詞を用いて、デジタル化社会で顕在化する人間の悪意を風刺しています。この振り幅の広さは、桑田らしいところです。
桑田の歌詞は日本語と英語のチャンポンであり、清く正しく美しい日本語を求める方面から批判されてきた歴史があります。しかし、4曲目『簪/かんざし』、10曲目『ほととぎす[杜鵑草]』、15曲目『春まだ遠く』は、ほぼ日本語だけの歌詞であり、それぞれ切なさや哀しさを表現しています。
桑田はメロディーを先に考え、それに合う日本語の歌詞を付けるという方法で、これまで多くの楽曲を作ってきました。それ故に歌詞の意味は重視されず、それが『ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』という著書タイトルに表れています。しかし、最近は歌詞から先に考える方法を用い出したそうです。おそらく日本の名作文学作品の文章にメロディーを付けた『声に出して歌いたい日本文学〈Medley〉』の創作過程を通じて、その面白さを知ったのだと思われます。『簪/かんざし』『ほととぎす[杜鵑草]』『春まだ遠く』は歌詞から先に考えたのでしょう。どこか文学の香りがする歌詞です。
前のオリジナルアルバム『MUSICMAN』は、桑田の食道癌からの復帰後にリリースされましたが、収録曲は食道癌発覚前に作られたものです。桑田の復帰時に、大病を経験したことで変化したであろう、桑田の人生観や死生観が音楽にどう反映するかに興味があるという声がありました(確か小林克也)。それは『MUSICMAN』ではなく、『がらくた』に表れています。そして、人生観や死生観という己の内面を表現するためには、生まれ育った国の言葉が適しており、『簪/かんざし』『ほととぎす[杜鵑草]』『春まだ遠く』の3曲は、桑田の内面が強く出ているものだと思って聴いています。
さて、4回に分けて書いた『がらくた』の感想文は、いかがでしょうか。もし『がらくた』の魅力が欠片も伝わらなかったら、私は「終電で帰る? ホントはカラオケルームとホテルを 押さえてたのさ」(『愛のささくれ~Nobody loves me』)と嘆くレベルでガッカリしますよ。
「がらくた 桑田佳祐」で検索しちゃいなよ……。