「俺の下品には品がある」
これは、生前の赤塚不二夫が何かの媒体で口にした言葉です。何の媒体に載っていたか忘れている私でも、この言葉だけは記憶しています。もはや私の座右の銘にしたいくらいの名言です。
赤塚は自作の漫画『天才バカボン』や『おそ松くん』でウンコチンチン系の下ネタギャグを世に放ってきました。更に作者自身も下ネタ系のパフォーマンスを好んで披露しています。真冬のスキー場で、全裸で肛門に火のついたローソクをさして歩くという荒技は、その幻想的美しさとバカバカしさがミックスされたインパクトでタモリを感動させています。
また、雑誌のインタビューで「ライバルは?」と問われた時、赤塚が挙げた名前は同業者の石ノ森章太郎でも藤子不二雄でもなく、喜劇俳優の由利徹でした。由利と言えば、「オシャ、マンベ」や「チンチロリンのカックン」が持ちギャグで、映画やドラマで東北訛りのエロオヤジを演じさせたら天下一の偉大なコメディアンです(たこ八郎の師匠でもあります)。自らも色々とバカなことをやってきた赤塚は、「あいつのバカには敵わねえ」と負けを認めながらも、いつか由利を超えようとライバル心を燃やしていました。言っておきますが、赤塚の本業は漫画家です。
このように、赤塚は漫画でもパフォーマンスでも下品なネタを発表してきました。しかし、赤塚の下品なネタを見聞きしても、嫌な気分になることはありませんでした。おそらく世間一般の反応も同じで、だからこそ赤塚は作品も本人も多くの人々に愛されたのでしょう。それは、赤塚の下品なネタが受け手を不快にさせない配慮や知的な教養によって裏打ちされているからです。受け手への配慮や知的な教養は品格ということであり、赤塚は品格を保ちながら下品な笑いを追求していたのです。
物事を表層的にしか見ることができない人は、見かけの下品さで嫌悪し、その深層にある品格に気付きません。そういう人に私はなりたくありません。受け手のときは表面だけでなく奥に秘めた本質まで見通すつもりで、話し手や書き手のときは「俺の下品には品がある」という言葉を頭の片隅に置き、重層的な言動や文章になるよう心がけています。
ところで「下品なのに品がある」の対極にある「上品なのに品がない」を体現しているのは誰でしょう。私はデヴィ夫人や神田うのが頭に浮かんできます。