乃木坂46の生駒里奈さん、いじめられた過去を語る | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

乃木坂46生駒里奈、いじめを受けていた過去 「一番底辺」からセンターまでの道のり語る

 
【生駒里奈/モデルプレス=5月28日】乃木坂46の生駒里奈が、28日に放送された日本テレビ系「チカラウタ」(毎週土曜よる5時~)に出演した。
 
乃木坂46でデビューから5作連続でセンターを務め、天真爛漫な笑顔が印象的な生駒だが、小学生の時の転校がキッカケで「闇が始まったと思うんです」と今の姿からは想像し難い過去を告白。小学校3年生ぐらいのときから出来始めたスクールカーストの中では「1番底辺にいた」といい、「そういうところの子は、いじめっ子がターゲットにし易いんですよ」と振り返った。
 
その後、5~6年生の時が「学校生活でも、自分の人生の中での1番キライな時期」だったよう。NEWS小山慶一郎から理由を聞かれると「シカトが始まったり…。標的もローテーションで変わるんですよ。だから『今月は仲良くされているけど、来月はシカトされるんだろうな』みたいな。ロッカーに入ってるものが朝来たら床に散らばってて、このままいくと私のものが全部壊されちゃうと思って、それ以来学校に荷物を置かなくなったので、毎日終業式の日みたいな荷物で通ってました」といじめにあっていた日々を語った。
 
それでも、不登校にならなかった理由については「お母さんとかを悲しい気持ちにするのは嫌だなと思った」と告白。「学校には友達はいないけど、図書館でずっと小説を読んでいたり、自分の世界に入って、自分を守るっていう術を身に着けた」とも明かした。
 

転機が訪れた中学・高校

 
中学に上がると、いじめていた人の半分ほどは別の学校に進学し、「今でも大好きな大親友ができたんですよ」と転機が訪れたそう。その親友との出会いを聞かれた際には「前の席だったその子が急に振り返って『ねぇ、メイド服って可愛いよね』って言われたんです。私もそういうものが好きだったのでそこから友達に」と述懐。共演者たちは驚きつつも、先程までとは一転して笑顔で話す生駒につられて笑っていた。
 
しかし、高校は親友と別々に。学校の雰囲気に合わず、不登校になることを考えるほどのどん底に落ちたとき、父から気分転換も兼ねて乃木坂46のオーディションを勧められ、見事合格に至った。
 

消えなかった負の想い

 
加入決定後、寮生活を前に東京でホテルぐらしがスタート。学校をやめられる喜びもあったようだが、「(底辺だった)自分がココに立っちゃいけないという不安」などもあったことを明かした。
 
そんな負の想いは、デビュー後センターを務めているときにもあったそうで「白い目で見られる不安、自分なんかできないっていう想いが」と回顧。「ある日、ご飯食べていたら血の味がして、(ストレスで)喉の奥まで口内炎が出来ていたんです。でも、普通は病院いかなきゃとか思うんですけど、(その時は)自分の身体に起きている変化に気づけない状況でした」と精神的に辛かった日々を思い返した。
 

変わるキッカケになった曲

 
そして、苦しい日々を変えたのは、たまたま耳に入ったゴールデンボンバーの「あしたのショー」であることを紹介。「その時の自分にピッタリで、簡単には帰れないなっていう覚悟が出来た曲。(東京には)母も友だちもいないけど、代わりに慰めてくれているような気がした」と話す生駒の目には涙。
 
最後、小山からセンターではなくなった時の心境を聞かれた生駒は、「スッキリっていう気持ち」と回顧。「センターのときは自分のことを大切にすることができなくて、自分で傷つけていたんですけど、これをキッカケに自分のイイところを認めようとやっと思えた。必要なキッカケです」と晴れやかな表情で語っていた。(modelpress編集部)
 
転載元:モデルプレス
 
【ここから私の意見】
 
人気アイドルという華やかな階段を上るのは並大抵のことではなく、その陰には人知れぬ努力や苦悩があるものですなあ。
 
生駒里奈は秋田県由利本荘市出身なので、転載記事中の小学校は秋田県内の小学校で、生駒をいじめていたクソガキは秋田県の児童ということになります。
 
よく田舎の子供は純朴で心が綺麗などと思われがちですが、そんなものは空虚な幻想に過ぎず、子供なんて全国どこでも大して変わりはありませんよ
 
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