
溝口吾一は父の親友が住職をつとめる驟閣寺に住み込むことになった。驟閣寺はこの世で最も美しいものと教え込まれた吾一だったが、やがて観光客が多数訪れるようになり、信仰の場ではなく単なる観光地に成り下がってしまうのを目の当たりにする。古谷大学に通うようになった吾一は戸苅という学生と知り合うが、戸苅は驟閣寺の美を批判し、住職の私生活を暴露した(Yahoo!映画より引用)。1958年公開作品。監督は市川崑で、出演は市川雷蔵、中村鴈治郎、仲代達矢、新珠三千代、浦路洋子、中村玉緒、舟木洋一、北林谷栄、信欣三。
三島由紀夫の小説『金閣寺』の映画化作品です。しかし、題名は『炎上』で、劇中で金閣寺は「驟閣寺」になっています。登場人物名やストーリーにも変更があり、原作を忠実に映画化したというより、原作から派生した新たなフィクションという感じです。
主人公の溝口を市川雷蔵が演じています。当時は二枚目スターだったにもかかわらず、坊主刈りで吃音の青年を演じたのは、雷蔵の思い切った挑戦だったでしょう。その挑戦は報われ、本作での雷蔵の演技は高評価を得ました。
溝口の友人・戸刈を演じるのは仲代達矢です。足に障害を持ちながら、それを利用して女を騙す男で、溝口を悪の道に誘おうとする憎たらしい役です。しかし、騙したはずの女(新珠三千代)に片輪呼ばわりされると、途端に狼狽した表情を見せ、戸刈の悪態は自身のコンプレックスを「攻撃は最大の防御」とばかりに隠すための手段だと分かるのです。
撮影の宮川一夫は、かなり陰影の濃い画に仕上げています。モノクロ映画ということもあり、ほとんど影絵状態になっているシーンもあります。後に市川崑監督と再び組んだ『おとうと』でも、銀残しという現像方法を用いて、カラー作品でありながら影絵のような画を作り出しています。
実際の寺院仏閣でロケをしたシーンもありますが、スタジオ内で大きなセットを組んで撮影したシーンもあります。その大きなセットに演者同士を離して配置し、引きの画で撮るシーンが多くあります。これは「美術の西岡善信が頑張って作ったセットを見て」とか「大映スコープ(シネマスコープ)の大画面に驚いて」という意図ではなく、世界の中の個人のちっぽけさを視覚的に表現したのでしょう。それとは対照的に、溝口の住む個室や遊郭の一室は狭苦しく作られています。そこでは溝口が自分を曝け出すことができ、彼にとって子宮的空間であることを意味しています。
文化系男子である市川が監督し、その妻でクールな女性的視点を持つ和田夏十が脚本を書いたからなのか、体育会の匂いがする男社会である軍隊や仏教界に対して批判的態度を取っています。「吃音は海軍に入れば治る」という脳味噌筋肉バカ丸出し発言をする海軍将校や、聖職者でありながら芸妓を妊娠させる生殖者である老師(中村鴈治郎)が、それです。
更に和田は原作を大胆に脚色し、国宝放火犯となった溝口の犯行後や、消失後の驟閣寺(金閣寺)の無残な焼け跡を描いています。自分勝手な動機で社会に迷惑をかけた溝口に対し、話を綺麗事で終わらせず、現実を突きつける和田のクールな視点がなせる技です。
さて、海外にも『金閣寺』の映画化作品があります。1985年製作の日米合作映画『Mishima: A Life In Four Chapters』です。緒形拳演じる三島の生涯をドキュメンタリー調で描いた中に『金閣寺』の短編が挿まれています。五代目坂東八十助(後の十代目坂東三津五郎)、佐藤浩市、萬田久子、笠智衆が出演する豪華な短編です。
監督と脚本のポール・シュレイダーは、大学時代に小津安二郎などの日本映画を研究し、ポールの兄で共同脚本のレナード・シュレイダーは同志社大学で英文学の講師を5年間務め、その間に日本文化を研究しているので、トンデモな日本描写になっていません。現実の三島と彼の作品をリンクさせて解釈する、外国人による三島由紀夫論として注目すべき作品ですが、劇中に三島の同性愛的描写があるため、遺族と右翼からの反対によって日本では劇場公開もソフト化もされていません。海外からソフトを取り寄せて観ると、ほぼ全編を占める日本語台詞に英語字幕が付くという不思議な感覚を味わえます。
そんな三島好きのポールが脚本を手がけた『タクシードライバー』は、他者とのコミュニケーションが上手くない若者が孤独感を募らせ、鬱屈とした感情を暴発させるというストーリーの根幹が『炎上』と同じです。また、『炎上』の溝口が遊郭の女(中村玉緒)に金だけ払って行為をしないことと、『タクシードライバー』でロバート・デ・ニーロ演じるトラヴィスがジョディ・フォスター演じる売春宿の少女アイリスと行為に及ばないことは同じです。生身のエロスを排除することで、主人公が(精神的に)童貞であることを表しています。実は『タクシードライバー』も『金閣寺』から派生した新たなフィクションではないかと思うのです。
★★★★☆(2017年1月4日(水)インターネット配信動画で鑑賞)
今だからこそ「愛国」や「保守」を見直すために、三島作品は読んだり、観たりされるべきです。