【映画評】バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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世界的人気を誇るスーパーヒーロー、スーパーマンとバットマンが互いに全力を尽くしてバトルに挑む姿を描くアクション大作(Yahoo!映画より引用)。2016年日本公開作品。監督はザック・スナイダーで、出演はベン・アフレック、ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、ジェレミー・アイアンズ、ホリー・ハンター、ガル・ガドット。
 
マン・オブ・スティール』の続編にして、『バットマン』シリーズの仕切り直しになります。ライバルのマーヴェル・コミックが『アベンジャーズ』をヒットさせたから、うちらも負けられないというDCコミックの意気込みが見えます。本作ではワンダーウーマン(ガル・ガドット)が登場し、劇中の「ゴッサムシティで暴れるピエロ」は『スーサイド・スクワッド』に、ブルース・ウェイン(ベン・アフレック)の夢に現れる男やレックス・ルーサー(ジェシー・アイゼンバーグ)の極秘データで映し出される「メタヒューマン」たちは、ヒーロー大集合の『ジャスティス・リーグ』に繋がります。『ジャスティス・リーグ』までに各ヒーローのキャラクターを紹介するスピンオフ映画がないと、日本人の私には分かりにくいのですが。
 
ダークナイト』三部作を監督したクリストファー・ノーランは製作総指揮に回り、ザック・スナイダーが本作を監督しています。思うに、スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)の人間離れしたアクションは、リアリティ志向のノーランより、『300』などのCGを駆使した派手な画作りができる、スナイダーの方が向いているからでしょう。スナイダーは、『ウォッチメン』においてDr.マンハッタンという神に近い存在のヒーロー(すなわちスーパーマンと同じ)を登場させ、架空のヒーロー同士による人間らしい暗黒面を描いたことも、本作の監督に起用された理由かもしれません。
 
新生バットマンを演じるのはベン・アフレックです。キャスト発表時に、かなり反対の声があったそうですが、心の闇を抱えるヒーローを熱演しています。おそらくマーヴェル・コミックの実写化作品『デアデビル』での“失地回復”を図ろうとしたのでしょう。ビジュアル的には、スーパーマンに対抗するために重装備したバットマンが「暗闇の騎士(=ダークナイト)」らしくて気に入りました。
 
題名にあるとおり、「ジャスティス(=正義)」が本作の主なテーマです。冒頭でメトロポリスにあるウェイン社のビルが破壊されるシーンは、9・11アメリカ同時多発テロ事件のイメージになっています。正義を執行しているスーパーマンが被害者を生み、その憎悪が新たな被害者を生むという連鎖は、アメリカの「正義」への懐疑を表しています。被害者の憎悪を利用するのが武器商人いわゆる戦争屋のレックスであるというのは、アメリカの戦争ビジネスに対する批判です。
 
スーパーマン、バットマン、レックスに共通するのは、父親を亡くしていることです。彼らが正義を執行したり、強大な力を手に入れようとしたりするのは、父性への憧れが原因のような気がします。彼らの目標は「そして父になる」ことです。
 
期待したバットマンとスーパーマンの対決シーンは、拍子抜けで終わった感があります。しかし、目前の敵に家族がいることを知れば、彼もまた人間だという感情が湧き、憎悪する心が無くなるということを表しているのでしょう。目の前にいるのが人間ではないと思えば、ゲームの敵キャラか何かだと思えば、人は残酷に殺すことができるからです(軍隊における訓練とは、そのように人間を改造することです)。
 
ヒーローたちを超人ではなく、人間として描くことは、正義を執行するのは絶対的な神ではなく、血の通った人間であるというラストへの流れに結びつきます。本作のラストシーンは、明らかに続編を予感させるものです。続編は、このテーマを更に深化させたものであってほしいものです。
 
★★★★☆(2017年1月2日(月)DVD鑑賞)
 
執事アルフレッドが若返りました(マイケル・ケイン→ジェレミー・アイアンズ)。
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