【映画評】桂子ですけど | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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平凡なひとりの女性が、22歳の誕生日を前に毎日を着実に生きていこうとする様を、“時間”を意識しながらつづっていく日記風映画(映画.comより引用)。1997年公開作品。監督は園子温で、出演は鈴木桂子。
 
映画の冒頭、主人公である鈴木桂子の顔のアップから始まります。桂子自身に大きな動きはありませんが、瞬きと周囲の生活音により静止画像でないことは確認できます。これは「時間」を記録した映画です。
 
「時間」を記録する映画ですから、桂子の部屋と家具は原色に塗りつぶされ、余計な情報は排除されています。桂子が何か行動するか、あるいは黙っているかにより、観客の体感時間は変化しますが、現実の一秒の価値は変わりません
 
本作のクライマックスとして、桂子が赤い傘とワンピースで、白い雪原を秒読みしながら歩き続ける長回しシーンがあります。配色のコントラストが目に鮮やかで美しく、園監督のセンスの良さを感じさせます。
 
このシーンを観ると、同じ園監督の『希望の国』で、被災者である子供の幽霊(?)が「一歩、二歩…」ではなく、「一歩、一歩…」と数えながらガレキの中を歩いていくシーンを思い出しました。東日本大震災で何万何千という被災者数が報道されましたが、その積み重ねられた数字が大きいほどリアリティは薄れます。被災者一人一人の人生の価値は等しく、十把一絡げではなく、つぶさに目を向けるのが映画を含む表現の役割だということです。
 
そして本作においては、登場人物である桂子にとっても、体感時間が変わる観客にとっても、日々の一秒一秒の価値は等しく、かけがえのない大事なものであるということを表現しているのです。
 
★★☆☆☆(2016年3月25日(金)インターネット配信動画で鑑賞)
 
桂子は父親の遺骨を持っています。死者は時間が止まった者です。
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