ハヤブサ(江崎英治)さん死去 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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覆面レスラーのハヤブサ死す 江崎英治さん47歳、くも膜下出血で

 
プロレスラーのハヤブサこと江崎英治さんが、くも膜下出血で3日に亡くなっていたことを4日、所属事務所がマスコミ各社にFAXで報告した。47歳だった。
 
江崎さんは、91年にFMWでプロレスデビュー。その後、覆面レスラーのハヤブサに変身し、得意技のファルコンアロー、フェニックス・スプラッシュなどを駆使し活躍。師匠の大仁田厚にも挑戦した。2001年にリングでけいつい損傷し、以来、車いす生活を余儀なくされていた。通夜、葬儀は近親者のみで執り行い、後日、「ハヤブサを偲ぶ会」が催される予定。
 
◆ハヤブサ 本名・江崎英治。1968年11月29日、熊本・八代市生まれ。91年FMWに入門し、同年5月5日、愛知・名古屋国際会議場大会でデビュー。FMW認定2冠統一、WEWタッグなどのタイトルを奪取し、エースの座にのぼりつめた。95年には師匠・大仁田厚の「引退試合」の相手も務めたが、2001年10月、リングで頭部を強打し、外傷性頚椎(けいつい)損傷で引退を余儀なくされた。その後車いす姿でテレビ出演などをこなしていた。
 
 
私はハヤブサのファンでした。大仁田厚率いるFMWの若手選手、江崎英治がメキシコ武者修行を経て、覆面レスラー「ハヤブサ」として一時帰国。その場所が新日本プロレス主催のジュニアヘビー級の祭典「スーパーJカップ」での獣神サンダー・ライガー戦でした。当時は新日(メジャー)とFMW(インディー)の壁が厚く、両団体の選手が闘うなど考えられないことでした。それが実現し、しかも好試合になったことで、何か新しい時代の予感を感じました。
 
大仁田の引退試合の相手を務め、新生FMWのエースとなったハヤブサは、新しい団体色を作ろうと懸命に奮闘してきました。大仁田のデスマッチ・スタイルから、メジャーに劣らぬ正統派プロレスへの路線変更です。私は、この頃のハヤブサ対ザ・グラジエーターをインディー屈指の名勝負として記憶しています。グラジエーターのカミカゼ・アッサムボム(コーナー最上段からの雪崩式パワーボム)を、ハヤブサが宙に浮いた状態でウラカン・ラナで切り返すという超絶シーンは、もはや芸術品です。しかし、好敵手グラジエーターは、2007年に先立ってしまいました。
 
その後、新生FMWが様々な荒波に揉まれる中、エースとしてプロレスの本道を守り続け、もう一つのメジャー団体である全日本プロレスへの参戦も果たしました。ところが、30代に入り、レスラーとしての円熟を期待された時期に、試合中のアクシデントにより頚椎損傷し、全身不随という重傷を負いました。ハヤブサ本人は「休業」と言っていましたが、事実上の引退扱いです。その頃、私のプロレス熱はトーンダウンし、ハヤブサのことを気にかけなくなりました。その間もハヤブサはレスラー復帰を目指し、日々リハビリに励んでいたにもかかわらずです。
 
ハヤブサは華のあるレスラーでした。その格好良さはジャニーズの滝沢秀明を魅了するほどでした。石井竜也デザインのコスチュームで試合をしたこともあります。素顔はSMAPの香取慎吾似のイケメンでした(若手時代にコーチのターザン後藤がつけたニックネームは、清水健太郎に似ているという理由で「ケンタロウ」でしたが)。
 
そのレスラーとしての華の部分と対称的に、休業中に必死でリハビリに励み、レスラー復帰という奇跡を信じる姿は、地味かもしれません。しかし、ハヤブサの師匠である大仁田は、レスラーとして肉体も技術も一流でないにもかかわらず、プロレスが好きで、ドン底から苦しみもがき、這い上がろうとする「生き様」を見せることで、スター選手になりました。ハヤブサの「生き様」は、誰よりも大仁田イズムを継承したからなのかもしれません。
 
ご冥福をお祈りします。
 
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