野呂佳代 一人暮らしできるのは有吉のおかげと感謝を語る
AKB48を経てSDN48に移籍し、キャプテンとして活躍していた野呂佳代(32才)。SDN48解散後は露出が減り、芸能界引退も考え始めていたという。そんなとき、同じ事務所の先輩でもある有吉弘行(41才)に叱咤されたことが、バラエティータレントとして注目を集める転機になった。野呂が振り返る。
――2年前、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)のコーナー“タレント進路相談”で有吉弘行さんに相談していましたが、このアドバイスで変わったことは?
野呂:SDN48を卒業して、最初のレギュラーがパチンコ番組だったんです。全力で頑張っていたんですけど、実は私、パチンコがあまり好きではなくて…。それを言ったら、「全力でやれ、バカ!」って言われたんです。
そう言われて、番組はいつか終わるけれど、次のステップに進む可能性もあるわけだから、今ある仕事を全力でやろうって思えました。そうしたら、パチンコの仕事が増えたんですよ(笑い)。
――有吉さんと、普段からお付き合いはありますか?
野呂:まったくないです。とにかく、怖い。
――怖い!?
野呂:有吉さんって、『ロンドンハーツ』とかで私がしゃべったあと見ると、すごい怖い顔してる時があるんです。「今のは違うだろ!」みたいな。おそらく、思ったことが顔に出るんですよ。その表情で、私のコメントが良かった悪かったがわかるんです。
私だって普通にしたいんですけど、有吉さんを気にせざるを得ないというか。有吉さんが笑っているのを見て、安心して笑うスタッフさんもいるんですよ。でも、最近は有吉さんの反応を確認するのをやめようと思っています。
――影響力が強いんですね。
野呂:あの時の『ロンドンハーツ』は、なぜグイグイいけたかというと、テレビに映る機会は今日しかないと思っていたからです。もう芸能界を辞めようと考え始めていた時期でした。だから、最後のチャンスという気持ちで臨んだんです。
あの放送が、私にとって転機になりました。あれがなかったら、一生地上波に出られなかったかもしれない。『ロンドンハーツ』の出演を機に収入が増えて、それまで実家に住んでいたんですけど、一人暮らしができるようになりました(笑い)。
――有吉さんのアドバイスのおかげ?
――有吉さんのアドバイスのおかげ?
野呂:まさにそうですね。有吉さんの本、『お前なんかもう死んでいる』(双葉社)はバイブルなんですよ。私みたいなに伸び悩んでいる人がいたら、ぜひ読んでもらいたいです。
本の影響で貯金を始めました。有吉さんは仕事がなくなっても、なぜ10年間も芸能界で生き延びられたかというと、貯金していたからなんです。だから、何かあった時に貯えがないといけないなと思って、月の収入の3分の1を貯金することに決めました。
――SDN48を辞めてメディアの露出が少なかった頃、何をしていましたか?
野呂:1年半くらい、小劇場で舞台をしていました。それはありがたかったんですけど、バラエティーも好きだったし、メディアに出たいと思っていたから。このまま終わっちゃうのかなと思うと、不安でした。
――苦しかった?
野呂:苦しかったです。それまでいつもテレビで活躍しているタレントさんたちと一緒に仕事していたのに、あれだけいい環境にいたのにって思うと…。劇場では主演をさせていただいていたのですが、そこで1位になってもしょうがないって気持ちが、どこかにありました。そんな時に、有吉さんに「全力でやれ、バカ!」って言われたんですよね。
――いい先輩ですね。
野呂:1年前くらいですけど、土田(晃之)さんにも、「やりづらい仕事があるときは、どうしたらいいですか?」って相談をしたら、「今その仕事があるのは、使ってくれる人がいるから。その人がいるからやれるってことを、忘れちゃだめなんだよ」ってアドバイスされました。
今はその言葉を頭に置いて、苦手なこともやっています。太田プロの先輩はみんな苦労しているから、的確なアドバイスが多いんです。
――土田さんは苦労しているイメージがありませんけども。
野呂:土田さんはメジャーになる前に、「もしテレビに出たら、こうやろう」と、テレビを見てシミュレーションしてたそうです。自分がおもしろいと思った漫才を完全コピーして分析したりとか、陰の努力がすごいんですよ。
「有吉は天才だけど自分は天才じゃないから、その分努力をする」っていうことも言っています。自分のことを客観的に見ているんです。土田さんの言葉に共感することがすごく多いですね。
周りの先輩って自分で道を見つけて、自力で這い上がった人たちばかりなんです。先輩がすごい分、私への風当たりが強いんですよ。「なんでお前はやらないんだ」って。つらいときもあります(苦笑)。でも、尊敬できる先輩に囲まれて幸せです。頑張らなきゃなって、やる気が出ます。
【野呂佳代(のろ・かよ)】
1983年10月28日 生まれ。東京都出身。2000年に芸能界デビュー。2006年、第二期AKB48追加メンバーオーディションに合格 。2009年よりSDN48としても活動開始、翌年完全移籍をしてキャプテンに就任。2012年にSDN48を卒業。現在、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)をはじめとして、テレビ、ラジオ、舞台などで活躍。4月23日より新国立劇場・中劇場で上演されるミュージカル『アニー』出演
1983年10月28日 生まれ。東京都出身。2000年に芸能界デビュー。2006年、第二期AKB48追加メンバーオーディションに合格 。2009年よりSDN48としても活動開始、翌年完全移籍をしてキャプテンに就任。2012年にSDN48を卒業。現在、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)をはじめとして、テレビ、ラジオ、舞台などで活躍。4月23日より新国立劇場・中劇場で上演されるミュージカル『アニー』出演
【ここから私の意見】
太田プロダクションの後輩、野呂佳代が語る有吉弘行と土田晃之の芸人像です。
有吉は、森脇和成とのコンビ「猿岩石」時代の1990年代半ばに、テレビ番組『進め!電波少年』の企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」でブレイクしました。テレビで引っ張りだこになり、CD「白い雲のように」を出せばミリオンセラーになるという絶頂期を迎えましたが、やがて落ち目になり、猿岩石はコンビ解散。芸人を続けた有吉は、長らく地元広島のローカル番組のみがレギュラーという不遇の時代を過ごしましたが、2007年に『アメトーーク』で発生した「おしゃクソ事変」(当時、調子に乗って前にしゃしゃり出ることの多かった「品川庄司」の品川祐に対し、「おしゃべりクソ野郎」とあだ名を付け、下克上を果たした事件)により、毒舌芸人として再ブレイクを果たしました。
有吉という芸人は、売れない時期を経験した「地獄を見た男」として、毒舌に説得力を持たせているように思われがちですが、実は猿岩石時代から既に優れた資質を有していたようです。土田が「有吉は太田プロに入ってきた時から面白かった」という発言をしていました。また、鋭いテレビ批評で知られた、コラムニスト兼消しゴム版画家のナンシー関は、猿岩石でアイドル芸人扱いされていた当時の有吉が、ふてぶてしさを秘めていることを見出していました。
野呂の発言から、有吉の「表情で、私のコメントが良かった悪かったがわかる」という笑いに対する敏感さ、有吉が「笑っているのを見て、安心して笑うスタッフさんもいる」という番組全体を見る視野の広さ、有吉が「仕事がなくなっても、なぜ10年間も芸能界で生き延びられたかというと、貯金していたから」という現実的な生活感覚を窺い知ることができます。有吉をしっかり見ることは、目立つこと優先で深く考えずに本音を吐き散らかすだけのタレントとは違う、芸人の奥深さを知ることになります。
土田は、対馬盛浩とのコンビ「U-turn」時代の1990年代半ばに、テレビ番組『タモリのボキャブラ天国』でブレイクしたボキャブラ芸人の一角を占めていました。ボキャブラ芸人には、爆笑問題、ネプチューン、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)など現在のバラエティ番組でメインを務めているメンツが揃っていました。ボキャブラ芸人ブームの終焉、2001年のコンビ解散後、土田はピン芸人として活動を開始しました。ネプチューンや海砂利水魚らと『銭形金太郎』のレギュラーなどを経て、現在では「ひな壇芸人」(複数のゲストが出演するトーク番組で、場を賑やかしながらも司会者の進行をサポートする芸人)としての地位を確立し、バラエティ番組では頼りにされる存在になっています。
野呂の発言にある、土田は「陰の努力がすごい」ことは、『アメトーーク』出演時に分かります。サッカー、家電、アニメのジャンルで、率先して知識を紹介するキャプテン的な役回りを務めていますから。この役は、饒舌なプレゼン能力の高さだけでなく、そのジャンルに対する最低限の基礎知識が必要とされます。土田の網羅すべきジャンルの広さからすれば。その学習量は中途半端ではありません。「有吉は天才だけど自分は天才じゃないから、その分努力をする」と言う、土田の「努力」という言葉には重みがあります。
土田は「自分のことを客観的に見て」、更に後輩芸人や太田プロにも目を配っています。当ブログの過去記事「春闘を前にして一読していほしい記事」からです。
「太田プロに所属する土田晃之さんは、若いころから芸人たちの環境をよくするために事務所と何度も掛け合ったようです。具体的な交渉内容はわかりませんが、それまでの太田プロはギャラの3割が芸人の取り分だったのに対し、土田さんは5割にまで引き上げたそうです。事務所と芸人の取り分が同等というのは、お笑い界では異例といえるものですから、土田さんの貢献度は計り知れないですね。」(土田は)「他事務所の芸人環境を把握して、若手芸人の教育などにも熱心な姿勢を見せるなど、きっちりと外堀から埋めるように事務所のスタッフと話し合いを繰り返したと聞きます。」
苦労して「自分で道を見つけて、自力で這い上がった」土田は、後輩芸人がよりお笑いに専念できるような環境改善により、太田プロを目指す若者を増やそうと思ったのでしょう。自分だけ売れればいいのではなく、全体を見る広い視野の持ち主であると感じさせます。
有吉と土田という先輩二人のアドバイスを受け、頑張ってきた野呂は、女性なのにダチョウ倶楽部の「キス芸」を受けるほどの、クソ度胸の持ち主になりました。その努力が、ミュージカル『アニー』でリリー役を掴むまでに結実しています(当然アニー役ではありません)。良い先輩がいて、そのアドバイスをきちんと受け取め、実践すれば、良い結果が出るという話です。
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