「あんたバカぁ?」(惣流・アスカ・ラングレーの口癖)。そんなド失礼な物言いから始まるTシャツ秘宝館です。
今回はアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』より、逃げちゃだめだTシャツです。

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「逃げちゃだめだ」は、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公、碇シンジの名台詞です。これを着て日本の街中に出れば、変な目で見られるでしょう。それでも「逃げちゃだめだ」です。
『新世紀エヴァンゲリオン』は1990年代半ばにテレビ東京で放映されたロボットアニメです。その内容の斬新さがファンのみならず、文化人の間でも議論を呼び、新解釈の劇場版が現在も発表され続けています。
アニメについて中途半端な知識しかない私ですが、日本のロボットアニメの変遷については、個人的見解があります。まず『鉄人28号』(原作:横山光輝)を始点としましょう。鉄人28号は、主人公である金田正太郎がリモコンで遠隔操縦することによって動きます(ちなみに半ズボンの似合う金田正太郎は、少年愛を意味する「ショタコン」の語源でもあります)。金田少年と鉄人28号は別個体であり、主体と道具の関係にあります。
1970年代になって、『マジンガーZ』(原作:永井豪)が登場します。主人公である兜甲児は、巨大人型ロボットであるマジンガーZに乗り込んで操縦します。これによりマジンガーZは兜甲児の道具ではなく、身体の延長としての役割が与えられ、ロボットと操縦者の同調化(シンクロ)という、後の『新世紀エヴァンゲリオン』にまで継承される要素を生み出しました。
1970年代の終盤になると、『機動戦士ガンダム』(総監督:富野由悠季)が世に出ます。この作品が従来のロボットアニメと異なる点は、善悪の相対化をもたらしたことです。『鉄人28号』も『マジンガーZ』も、主人公の敵役は分かり易い悪役が設定されていました。いわゆる悪の秘密組織というやつです。しかし、『機動戦士ガンダム』の背景にあるのは、地球連邦と、そこから独立しようとするジオン公国との間の戦争です。主人公アムロ・レイは連邦側で戦いますが、正義は両陣営にあり、単純な勧善懲悪ではありません。結局戦って殺し合うのは人間同士という戦争の現実が、アムロを悩ませます。
そして、1990年代の『新世紀エヴァンゲリオン』(監督:庵野秀明)は、もはや敵の存在が意味不明な領域に達します。都市(第3新東京市)に襲来する、巨大な「使徒」の正体は、はっきりと説明されず、謎のままで物語は進行します。「主人公が倒さなければならない何か」という役割しかありません。勧善懲悪も戦争の大義もないまま、14歳の碇シンジは戦い続けることを強いられます。それ故、物語は碇シンジの内面的葛藤の描くことに重点を置き出し、「逃げちゃだめだ」という台詞が作品を象徴するものなるのです。
『新世紀エヴァンゲリオン』放映時から20年も過ぎたことなので、ロボットアニメに新機軸が生まれても不思議ではありません。『鉄人28号』から『新世紀エヴァンゲリオン』まで、主人公の内面描写を重視する方向に流れています。そうなると、もはや主人公だけ登場させ、その内面を語らせるという手法で良いではないですか。あばれる君の一人コントみたいに。

何ですって? それはロボットアニメじゃないだろうですって? 自分はそうは思いません!(あばれる君の得意フレーズ)。『新世紀エヴァンゲリオン』で敵役が意味不明な領域まで行ったならば、もう敵役は姿形がなくても良いのです。ただ台詞で存在を示せば足ります。同じように主人公が乗り込むロボットの姿形も必要ありません。シンクロ率100%ならば、主人公がロボットそのものですから。大事なのは視聴者が共感できるような主人公の内面描写です。
あばれる君の芸風が、次世代のロボットアニメの新機軸となるのは、一種の運命とも言えます。何故なら、あばれる君の所属事務所(ワタナベエンターテインメント)の先輩芸人には、『新世紀エヴァンゲリオン』のロボット(人型兵器)とそっくりな体型のアンガールズがいますから。

かなり強引な論理展開なのは承知の上です。だから書いている自分に言い聞かせています。「逃げちゃだめだ」と。
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