ドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

ヤクザのいない清潔な街は本当に居心地いいのか? 東海テレビのドキュメンタリー『ヤクザと憲法』

 
ヤクザには人権は認められないのか。日本国憲法にはすべての日本国民は基本的人権と平等が守られることが明示されているが、ヤクザには適用されないのか。2004年から2011年にかけて暴力団排除条例(暴排条例)が全国で施行され、ヤクザたちの生活は追い詰められている。暴排条例は社会から暴力団を締め出すことを目的としたもので、一般市民が暴力団と関わることも規制している。だが、そのために暴力団の構成員は銀行口座をつくれず、小学校に通う子どもの給食費を振り込むこともできない。子どもが通う幼稚園の行事に参加できないだけでなく、子どもまで幼稚園からの退園を余儀なくされた。そんな笑えない事態が生じている。ヤクザを排除してクリーンになった街は、本当に住み心地がよいのか。『男はつらいよ』でテキヤ稼業をしていた寅さんが転職を迫られる世の中は歓迎すべきものなのか。東海テレビ製作のドキュメンタリー『ヤクザと憲法』は、ヤクザたちの日常生活を通して日本国憲法の在り方を見直そうという野心的な作品となっている・・・・・・
 
 
【ここから私の意見】
 
予め言っておきますが、私は現実にヤクザと関わるのは大嫌いです。しかし、虚構としてのヤクザ映画は好きです。ヤクザ映画は一種のファンタジーで、その点で『ハリー・ポッター』シリーズや『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズと同じです。虚構を通じて描かれる真実を見るもので、虚構を現実に持ち込むものではありません。
 
『ヤクザと憲法』はドキュメンタリー映画ですが、やはり同様に見るべきものです。現実のヤクザと関わりたくない人でも、観るべき価値はあり、「食わず嫌い」は良くないでしょう。私も観るチャンスがあれば、観たい映画です。
 
ここで虚構(フィクション)とドキュメンタリー(ノンフィクション)は違うのではないかという疑問が生じそうですが、私にとって、ドキュメンタリーも一種のフィクションなのです。どれだけ客観的視点を保とうとしても、撮影(フレームの外にある物は映らない)と編集(全編ノーカットだと観るに耐えない)の段階で、監督の主観が入り込まざるを得ないからです。せいぜい素材の生々しさが違うという程度の差です。事実を積み重ねたところで真実に到達するとは限りません(フジテレビ深夜のフェイク・ドキュメンタリー『放送禁止』より)。
 
さて『ヤクザと憲法』ですが、記事を読む限りでは、野生肉食獣を観察する動物ドキュメンタリーに近いものがありそうです。土方宏史監督は「今回の取材は被写体とあまり親しくなり過ぎないよう、一定の距離を保つことに神経を使いましたね」と述懐しているのは、正にそのとおりです。近づき過ぎると食われますから。かつて東映がヤクザ映画で当たっていた頃は、暴力団との関係が親密化し、それを嫌った高倉健が「脱ヤクザ映画俳優」を図って東映を退社したという説もあります。
 
社会から締め出されたヤクザたちはどこへ向かうのか。ヤクザがいなくなった街で権勢を強めていくのは誰なのか。浄化された社会では新たな差別の対象が生まれてくるのではないか」と記事にあります。権力者は自分の野望を達成するため、民衆に清く正しく美しい「道徳」を刷り込み、懐疑心や反抗心など持たぬ「羊」であることを望みます。社会の枠から外れた「狼」の存在を嫌います。しかし、不完全な人間が作った社会の枠も不完全ですから、枠から外れる人間はいます。「狼」は必要悪的に存在し、それとの調和を図るのが社会の平穏を守る知恵です。ところが、現状は「狼」の存在を初めから否定しようとしているかのようです。
 
昨年の安保法制成立で勢いづいた安倍政権は、今年は憲法改正を推し進めようと狙っています。権力者が日本という国のかたちを変えようとしている現在、『ヤクザと憲法』は綺麗事ばかりのマスコミ報道が伝えない何かを示しそうな作品ではないかと予想します。
 
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