【映画評】野火(市川崑監督版) | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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レイテ島を舞台に飢餓に追いつめられた兵隊を描いたもの(映画.comより引用)。1959年公開作品。監督は市川崑で、出演は船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス。
 
大岡昇平の小説が原作です。レイテ島は、現在のフィリピンにあります。主人公(船越)がレイテ島を孤独に彷徨うのは、ある意味で『太平洋ひとりぼっち』と言えます(両作品とも食べ物で悩む話ですが)。
 
船越は目が大きく、日本人らしくない顔立ちです。ミッキー・カーチスも日本人らしくない顔立ちです(日英ハーフだから当然)。キャスティングで映画の70%は決まると言う市川監督ですから、わざわざ他社(東宝)所属のカーチスまで起用したことには意味があります。それは、本作で描くのは日本軍人ではなく、過酷な状況の下、本性をむき出しにした人間そのものであるということです。だから、いかにも日本人的な外見は不要で、どの人種や民族でも、戦争では同じことが起こり得ることを表現しているのです。
 
後の『犬神家の一族』で、湖面から両脚が突き出している「面白い死体」を描いた市川監督ですが、本作では戦死を一切美化しません。飢餓で行き倒れて死ぬか、銃撃され、泥水に顔を突っ込んで死ぬかのどちらかです。美しい死に様など用意されていない、本当の戦争の姿です。
 
本作は、戦争の現実を食の観点から描きます。地面から掘り出したばかりの芋に齧りつき、貴重な塩を舐めては涙を流します。更に追い詰められると、自分の大便を口にし、「猿の肉」と偽って人肉を喰らいます(本作では原作と異なり、主人公の人肉食は未遂に終わります)。出征したラバウルで極限状態に置かれ、片腕を失って帰還した水木しげるは、生前「戦争はいけません。腹が減るからです」と言っていました(『妖怪大戦争』より)。その言葉の意味を、本作によって実感できるはずです。
 
戦争は将棋でもチェスでもテレビゲームでもなく、生身の人間をそこまで追い込むものです。飽食の時代を生き、エアコンの効いた快適な環境で、ブヨブヨした体を揺らしながら、パソコンやスマートフォンに向かっているようなネトウヨに、「戦争のできる国づくり」を語る資格はあるのでしょうか
 
★★★☆☆(2015年12月11日(金)テレビ鑑賞)
 
今年(2015年)、同じ原作を塚本晋也監督が映画化しました。
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