【映画評】勇気ある追跡 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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父親を殺された少女マティは、凄腕の名保安官コグバーンを雇って、犯人の追跡を始める……(Yahoo!映画より引用)。1969年日本公開作品。監督はヘンリー・ハサウェイで、出演はジョン・ウェイン、グレン・キャンベル、キム・ダービー、ロバート・デュヴァル、デニス・ホッパー。
 
西部劇の大スター、ジョン・ウェインが片目のならず者で、不潔な酒飲みという汚れキャラを演じています。大御所俳優は、ある程度イメージが固定化すると、「俺、こんな役もできるんだぜ」と無茶な挑戦をすることがあります。往々にして、スタッフや観客を困惑させる結果に終わります。
 
悪役でロバート・デュヴァルとデニス・ホッパーが出演しています。デュヴァルは『ゴッドファーザー』(1972年)で、ホッパーは『イージー・ライダー』(1969年)で人気が出ます。ウェインが撮影当時60歳過ぎで、老境に入ったことから、本作は新旧世代交代期前夜に作られたアメリカ映画であると言えます。
 
父親を殺されたマティ(ダービー)が仇討ちのため、保安官コグバーン(ウェイン)たちに同行する展開になります。この展開に違和感を払拭できません。何故なら、西部劇の世界では、女性は仇討ちのため保安官や賞金稼ぎに殺人依頼することはあっても、その旅に同行せず、町でひたすらに結果待ちするのが、王道のパターンだからです。製作年を考慮すれば、女性の権利向上を取り入れた、ポリティカル・コレクトの匂いがするのです。
 
私は男尊女卑思想の立場ではありませんが、西部劇は無骨で殺伐とした男の世界で、女を物扱いしたり、排除したりするのが正しいあり方だと思います。歴史的にも人権思想が定着していない時代の話ですから、その方が実像に近いはずです。本作でも罪人の縛り首見物に老若男女が娯楽鑑賞感覚で集まるという、現代の価値観では、野蛮で残酷極まりない風習が描かれていました。そのような時代に、女性の権利など保障されることはありません。
 
このポリティカル・コレクト的発想は、NHK大河ドラマの衰退の一因でもあります。近年の大河ドラマの主人公は1年ごとに男女交代のパターンが続いています。しかし、実際の日本史では、女性の活躍する場はほとんどなく、男中心の世界で時代を動かしてきました(卑弥呼や北条政子は例外的事例です)。それなのに、フィクションであるのを口実に、女性の主人公を歴史上の武将や志士に絡ませて、彼女が歴史を動かしたという無理矢理な展開にするから、重厚な歴史ドラマを期待する時代劇ファンが離れていくのです。
 
本作が作られた時代は、前述したとおり、アメリカ映画界の新旧交代期前夜であり、また西部劇の世界観を歪めるポリティカル・コレクトが侵食してきました。その意味では、西部劇終わりの始まりとも言うべき作品です。
 
★★☆☆☆(2015年11月21日(土)DVD鑑賞)
 
後にジョエル&イーサンのコーエン兄弟監督『トゥルー・グリット』でリメイクされました。
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