【映画評】飼育 | じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~

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このブログは、田舎で暮らすおっさんの独り言を日々書き綴っています。ブログタイトルの「じゃんご」とは秋田弁で「田舎」のことで、偶然にもマカロニウエスタンの主人公の名前でもあります。何となく付けてみました。お時間があれば、広い心で御覧になってください。

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昭和二十年の初夏。米国の爆撃機が山中に墜落、脱出した黒人兵は猟の罠にかかり村人に捕らえられ、そして黒人兵の“飼育”が始まる。しかし村は疎開者を抱え、地主との間にも悶着が絶えない。トラブルの原因はあの黒人兵だ……村人のイライラは黒人兵に向けられ、あろうことか彼を殺してしまう……(映画.comより引用)。1961年公開作品。監督は大島渚で、出演は三國連太郎、小山明子、三原葉子、中村雅子、山茶花究、戸浦六宏、大島瑛子、ヒュー・ハード。
 
原作は大江健三郎の小説です。しかし、原作が村の少年の視点から描かれているのに対し、本作は村全体を俯瞰して見るかのような視点から描かれています。
 
本作は、大島監督が松竹退社後、初めて手がけた作品です。そのため、会社の制約から解放され、自由に作ったせいなのか、後の作品で見られるものの萌芽を感じます。外国人捕虜との交流という設定は『戦場のメリークリスマス』に、閉鎖的村社会を描くのは『儀式』に通じ、村の白痴女は『愛の亡霊』で杉浦孝昭(おすぎ)が似たような役を演じています。
 
本作の次に作った『天草四郎時貞』で効果的に用いられた、長回しと引きの画は本作でも多用されています。この手法は「神の視点から人間社会を観察する」という意味があり、キリシタンの反乱を描いた『天草四郎時貞』はもとより、日本的村社会を描いた本作でも活かされています。本作のタイトルバックは、蛆虫のような多数の虫けらが蠢く映像ですが、これは神の視点から見た人間社会のグロテスクさやおぞましさを表しています。
 
村のトラブルは全て黒人兵のせいにする、非合理的なスケープゴートの論理。黒人兵の死を忘却し、何事も無かったことにする無責任体制。大島監督は、日本の戦争責任を問うために本作を映画化したらしいですが、そこで描かれている日本的村社会の有様は、戦前も戦後も変わりません。「戦後レジームからの脱却」などと戦後がダメで、戦前に回帰しようと主張する政治家がいます。しかし、実は戦後だけでなく、戦前から日本社会はダメだったような気がしてきます。
 
★★★★☆(2015年9月24日(木)DVD鑑賞)
 
本作での三國連太郎の髪型がウド鈴木みたいとか言わないこと
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