国会包囲に1万5000人 辺野古反対の思いつなぐ
名護市辺野古の新基地建設に反対する「首都圏アクション国会包囲ヒューマンチェーン」が24日、東京・国会議事堂周辺で実施され1万5千人(主催者発表)の市民が参加、国会を囲み、安倍晋三政権に新基地建設の断念、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念を要求した。5月17日に3万5千人が参加した沖縄県民大会の共同代表らも参加し、辺野古反対の民意を聞くようシュプレヒコールを上げた。
国会周辺では4カ所のエリアで午後2時から県民大会の共同代表や県選出国会議員、有識者、本土の市民団体の代表などがリレー演説。同3時過ぎに国会包囲に成功し「普天間飛行場の閉鎖・撤去と辺野古新基地撤回を実現するまで、沖縄県民とともに闘う」と誓うアピール文を採択した。
ヒューマンチェーンの実行委員会は25日に首相官邸前で首相あてにアピール文を提出する。
【ここから私の意見】
こんな記事を掲載して、米軍基地辺野古移設問題について語るのかと思いきや、今回は「市民」という言葉について考えてみます。
市民とは、①その市に住んでいる人。また,都市の住人。「-会館」②〔citizen〕国政に参与する権利をもつ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権をもつ住民に由来する。③〔フランスbourgeois〕ブルジョア。市民階級のことを意味します(大辞林第三版)。
例えば、私は秋田県北秋田市に住んでいるので、北秋田市民です。北秋田市長や北秋田市職員が「市民」という言葉を用いる場合は、北秋田市民のことを指します。①の用法ですね。「プロレスに市民権を!」などという場合は、蔑視されているプロレスに他のスポーツ並みの地位を与えるよう求めているのですから、②の用法です。また、歴史の授業で「市民革命」という場合は、特定の市の人々だけが行動したのではなく、③の用法に従い、ブルジョア階級が圧政に抵抗したことを意味します。
上記の転載記事の場合、「市民」は②の用法に従います。①の用法に従い、名護市民のことを指すのではありません。ところが、沖縄で市民集会を開くと、地元市民以外の人間が参加していることを批判する声が上がります(ほぼ米軍基地移設賛成派から)。
おかしな話です。賛成派は米軍基地問題を国家の防衛に関わるものとし、沖縄に基地はあるべきだと主張しているはずです。米軍基地問題が国益に関する問題ならば、地元市民以外の国民が大きな関心を持って当然です。むしろ地元市民のみが集まった市民集会があれば、なぜ国民は関心を持たないのかと嘆くのが筋です。
そもそもマスコミが「市民」という言葉を用いるのが、話をおかしくしています。米軍基地問題については、「国民」の方が適切ではないでしょうか。マスコミは言葉を使うプロです。言葉の誤用は欠陥品を売って利益を得るのと同じことで、プロ失格です。自動車会社が欠陥車を売ったり、鮮魚店が腐った魚を売ったりすれば、非難の声を浴びます。同様に、いい加減な言葉遣いをしているマスコミも、非難されて然るべきだと思うのです。