先日の衆議院議員総選挙は、自民党と公明党が公示前勢力を維持するという結果に終わりました。この事実を指して、選挙費用700億円の無駄使いだという批判の声がありますが、そんなことはないと思います。選挙という公的手続きを経て、民意が証明されたという意味があります。マスコミが意図的に情報操作し、「国民の怒り」などと偽りの民意をでっち上げて、国民をミスリードすることに釘を刺す効果はあるでしょう。
ただし、今回の選挙結果は最終投票率が52.66%と、国民の約半数が“眠っている”という事実も証明しました。それこそ「大義なき解散」というマスコミの宣伝に踊らされた有権者が多かったということです。「争点が分からない」とか「選択肢がない」とか言うのは、何ら言い訳になりません。大人というのは、意味のないことや嫌なことであっても、そこに自ら意味付けをし、責任をもってやり遂げる人のことです。「分からないから、やりたくない」とか「嫌だから、やりたくない」とか言うのは、図体だけは一人前の子供の我が儘です。そんな偽大人は、ずっと眠っていてください。一生奴隷のまま、眠っていてください。
「選択肢がない」という言い訳に対し、私なりの解決策として、選挙区制廃止・全国区制復活論を提示します。全国区制とは、1947年から1980年まで、参議院議員通常選挙で行われていた、全国一選挙区で個人名で投票する選挙制度のことです。現在の非拘束名簿式比例代表制が、それに近いとも言われていますが、私としては、衆参両議院の議員選挙をこの制度で一本化すべきだと思います(そうなると、二院制の意味について疑義が生じますが、それについては機会を見て私論を述べます)。
そもそも国会議員は、国全体の利益を視野に入れて行動する人間でなければなりません。一地方の利益しか視野にない小人物は、国会議員になれません。せいぜい地方議員止まりです。そんな小人物を国会議員に選んでいるから、地元有権者を観劇に招待するなどというズブズブの関係が生まれるのです。
実際に選挙運動で有権者と触れ合えることが大事などと言って、選挙区制を維持しようとする意見もあるかと思います。しかし、それは政策ではなく人柄で国会議員を選んでいるということです。小中学校の学級委員選挙じゃあるまいし、そんな理由で選んでいるから、外面だけが良い無能な小物が永田町にのさばるのです。
かつての全国区制は、全国を遊説するため、選挙費用が嵩むことや、立候補者の疲労が大きいことが廃止の理由になりました。しかし、今の日本で、それは理由になりません。交通網は格段に整備され、もう十数年で東京・名古屋間がリニアモーターカーで一時間もかからず、移動できる時代です。飛行機だってLCCを利用すれば、格安で全国に飛び回れます。それにネット選挙が解禁されたのですから、全国遊説握手会を展開しなくても、自分の政策を国民に訴えることができます。人柄や利益誘導など糞みたいな理由ではなく、政策論争重視の選挙戦が、全国区制で可能になります。
全国区制は、あくまで個人名投票のみにすべきです。政党内の思惑で当選者を決めてほしくないからです。自民党は支持するが、ブラック居酒屋経営者に国会議員たる資格はないと思っていた有権者は多かったと思います。
以上のように、全国区制は国政選挙のあり方として、適当であると思っています。もし全国区制を導入しても、「選択肢がない」という理由で投票行動に出ないバカが多数いたとしたら、そいつらは一生バカのまま眠っていてください。